物語・介護保険
(呆け老人をかかえる家族の会の機関誌『ぽ〜れぼ〜れ』、社会保険研究所刊「介護保険情報」の連載より)

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■「ビラまかない、デモしない」■

 横なぐりの雨が吹きつけた1996年9月30日は、集会には最悪の日でした。
 にもかかわらず、東京・千代田区の九段会館ホールには、1000人を超える人々が全国から集まり、立ち見がでるほどでした。9月4日に旗揚げしたばかりの「介護の社会化を進める1万人市民委員会」が開いた初のシンポジウム、「自治体サミット・わが町の福祉プラン」に参加するためでした。

 この1万人市民委員会は、日本の法案づくりの歴史、市民運動の歴史に新しい風を吹き込む、いくつかの特徴を備えていました。
 その第1は、それまでの市民運動の定番だった「反対運動型」ではなく「提言・対案型」だったことです。
 「ビラはまかない、デモもしない、なぜって、効果がないから」が合い言葉でした。

 8月の呼びかけ文にはこうありました。

 介護保険法案は国会閉会までもつれ込み、新しい新介護システムの創設は先送りされました。
 私たちは、上程に至らなかった幻の介護保険法案を手放しで賛同するものではありません。
 しかし、法案を阻んだのが、介護の社会化に消極的な者たちであり、選挙を前にして新たな負担を避けようとする政治家たちであったことを考えると、法案を立ち枯れさせることは、介護の社会化を大きく立ち遅らせるものだと考えます。
 一方、介護保険制度の創設は、驚くほど高い支持率を得ているものの、その具体的な内容について市民の論議は進んでいません。新制度の可能性と限界を正しく見据える必要があります。
 不満やケチつけだけでなく、具体的な対案をもって、現実を少しでもいい方向に変えていくという立場に立ちたいとおもいます。

■“犬猿?”、転じて、同志に■

 第2の特徴は、意見を異にする人々を巻き込むための周到な戦略です。
 それまでの「市民運動」は、仲間うちでは「そうだ、そうだ」と大いに盛り上がるものの、意見を異にする人々への働きかけに臆病だったり、おろそかにしたり、という傾向がありました。
 1万人市民委員会は、代表を選ぶときから、幅広い層の心をつかむための配慮を組み込みました。
 代表は60代の男女1人づつ。ひとりはロッキード事件捜査で当時、国民的人気の元検事、堀田力さん。もうひとりは評論家の樋口恵子さん。
 事務局は、1世代若い「親を介護する最後の世代で、子に介護してもらえない最初の世代」の面々。男女、世代を超えた布陣です。
 実は、もうひとつの遠望深慮がありました。

 樋口さんは「高齢社会をよくする女性の会」の代表として、女性の立場から介護の社会化を訴え続けていました(「物語」第6話など)。その実績と影響力を買われ、高齢者介護・自立支援システム研究会に加わり介護の社会化のオピニオンリーダーでした。
 一方、堀田さんは、「介護のために公的負担を増やすことは困難だろう」という前提のもと、92年、「ボランティア切符」をコンピュータで全国ネットする方式を提唱。男性たちの共感を集めていました。

 「女性の会」の中にはこの動きに危険性を感じた人々がいました。
 「ボランティアと家族をあてにした80年代の日本型福祉の復活につながるのではないか」と心配したのです。
 この年の9月5日、仙台で開いた全国大会に堀田さんを招きました。
 左の記事は、「ボランティア切符めぐり熱い論議」という大見出しで、女性の会副会長の沖藤典子さんの次のような激しい批判を載せています。
 「ボランティア切符は、いじましくてみみっちい」
 「いまは、各自治体が幹となる政策を打ち出すべき時期。夢物語の中で安心してはいけない」。
 司会の樋口さんの「親の介護にかかりきりだった人はボランティア切符どころではない。それでは、公平性に問題がある」という指摘も紹介しています。
 テレビでもこの論争を大々的に報じ、以来、「堀田・樋口は犬猿の仲」という、あらぬ噂が流れたのです。

 けれど、縁は異なもの、この日を境に、樋口さんと堀田さんは意気投合、写真のように、様々な活動をともにする、名コンビとなってゆきました。右の写真は、お2人が代表をつとめる「高齢社会NGO連携協議会(高連協)」の風景です。
 そして、堀田さんは、「介護の社会化運動」の頼もしい、かけがえない味方になっていったのでした。
 市民委員会創設の呼びかけで、堀田さんはこう書いています。
 「公的保険は誰のためにつくられるのか。いうまでもなく、市民のためである。だから、市民は、自分たちのためにどうしてほしいのか、思い切り声をあげよう。黙っていると誰かが勝手にやり方を決めてしまうから」。

 法務省の官房長だった経験をもとに、設立総会では、「永田町では与党の自民党の総務会で、ひとりでも異論がでるとその法案はダメになる慣例があります」といった裏話を披露。「運動を進めるには目標と戦略を立てて取り組む必要がある」と提案しました。
 市民委員会は、活動の第一番に、政府、政党、関係団体へのロビー活動を挙げることになりました。

■1人1万円、1万人で1億円、そして期限付き■

 特徴の第3は、意表をつく、新しい戦略です。
 たとえば、ひとりが1万円ずつ持ち寄って1億円の基金をつくるという壮大な計画です。介護の社会化を求める市民が「多数派」であり、「真剣」なのだ、ということを政治家や官僚や社会全体にアピールするためです。
 現実に、1万円を払い込む人が、続々と集まりました。
 官僚、自治体職員、大学の研究者、取材先に深入りすることは御法度のジャーナリスト……。内緒ですが、わが家も3人分の3万円を払い込みました。
 でも、もっと上がいました。静岡の匿名の女性から「なにかの役にたてたいと、こっそり貯めていました」と200万円が送られてきました。

 集めた資金の大半が、情報活動に使われました。メディアは、オリジナル資料の提供に熱心とはいえません。量的にも全面掲載は不可能です。そこで、情報を、直接、会員に流していきました。これは、市民が判断する力をつけるために重要でした。
 9月30日の集会でも、与党の法律要綱修正案や24時間型ホームヘルパー事業指定の市町村の一覧表が提供されました。
 加えて、介護の社会化にかかわる調査研究やプロジェクト、各地の勉強会やシンポジウムへの講師を派遣……。こうした手法は、日本では初めてでした。

 活動を3年間の期限つきにしたことも、当時としては画期的でした。
 「1万円」を発案したのは、当時、地方自治総合研究所(自治総研)事務局長だったの池田省三さん(現・龍谷大学教授・下の写真の左側)でした。
 池田さんはいいます。
 「市民運動のエネルギーとか潔癖さは大好きですが、いかんせんチャチすぎます。運営委員の中には、だれもが出しやすい『1年間500円』にこだわった人もいたんですが粉砕しました」
 「労働組合が一定の影響力をもっているのは金をもっているからです。たとえば、自治労の組合員は年間12万円ぐらい払っています。社会連帯とか介護の社会化といった問題は、積極的に自分の財布から金を出していくという姿勢がないとうまくいきません」

 その自治労は、前回登場の福山真劫さん(当時、健康福祉局長)の決断のもと、物心両面で一万人市民委員会を、目立たぬようにバックアップしました。
 「自治労は社会福祉、衛生医療の職場に多くの組合員を抱えています。この人々が介護保険の理解を深める教育活動、集会、パンフレット配布、あるいは1万人市民委員会支援のための財政の裏打ちなど重要な役割を果たしました。5月の連休、ダイヤモンドホテルに福山、伊藤(当時自治労社会保障部長の伊藤民樹さん、右の写真の右側)、池田が泊まり込み、介護保険のパンフレットを創ったときのことは忘れられません」
 「民樹さんが自治労組織内の対策を進め、制度設計の課題については、私が担い、全体の責任を福山さんが持つと構図でした。福山さんは、包容力のある優れた指導者で、自治労三役が、私たちの活動をバックアップしてくれたのも、間違いなく福山さんの人徳のおかげです」

■リズム・メロディ・ハーモニー■

 「市民運動には、リズム(アジテーション)、メロディー(理論)、ハーモニー(組織力)が必要」というのが池田さんの説です。
 「1万人」は、参加者みんなが渾然一体となって奏でた、それまでの日本にはなかった市民運動でした。無理やり私流にあてはめると、若き日、なぜか、そろって新聞記者志望だった樋口・堀田両代表がリズム。
 「時速1000字」という猛スピードで原稿を書き、「介護保険は誤解保険」「介護保険は地方分権の試金石」と、巧みなキャッチフレーズで人々を納得させた池田さんは、メロディー。
 ハーモニーは、福山さん、伊藤さんと『いっと』編集長の菅原弘子さん。菅原さんは、この「物語」が掲載されている『月刊・介護保険情報』の名物コラムでおなじみの元厚生労働省老健局長、堤修三さんが「黒衣のフィクサー」と名づけ、樋口恵子さんが「長年付き合っているけどいまだに謎」という不思議な女性です。

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