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榎本憲一さんの初代のコムスンが「真夜中のヘルパー事業」に日本で初めて踏み切ったのは、92年8月15日。そのルーツは2つありました。
1つは、1日4回のインシュリン注射が欠かせぬ身でありながら、誰もが安心して年をとれるというデンマークの高齢者福祉を自分の目で確かめてみたいという思いにかられて、100万円の旅費を工面し、89年、調査団に加わった社会福祉法人福岡コロニーの松永英俊さんの感動にみちた報告でした。
英俊さんが、まず驚いたのは、人生の継続性、自己決定の尊重、自己資源(残存能力)の尊重という高齢者医療福祉3原則(詳しくは、第10話「ゴールドプランと男は度胸3人組」を)が政策にまで徹底していることでした。
この3原則にもとづいて、デンマークでは、88年以来、施設の新設をやめました。居間と寝室がひとつながり、キッチンがないのでは、人生の継続性にはならないというのです。既存の施設は、ケアつき共同住居などに改築されつつあり
ました。
英俊さんは、こう報告しています。
「これは、在宅ケアへの移行を意味しています。住む場所を変えると精神的不安が増大し危機状態(ボケ)に陥りやすい、住み慣れた家で日常的に自分の生活を自己管理していくことが普通の生活であり、その方が財政的にも有効であるというのです」
「在宅ケアへの援助は徹底しています。ニーズにあわせた看護婦、ヘルパーの訪問(無料)、宅配食サービス、住宅、車から、車イス、リフトなど、ありとあらゆる補助器具が無償提供されていました」
訪問介護や訪問看護の現場にも同行し、その感激も綴られていました。
もう1つのルーツは、英俊さんの伴侶でコムスンの在宅介護事業部長、松永喜久恵さんの、強烈な現場体験でした。
その女性は、83歳、福岡市内随一の高級住宅街に暮らす資産家。90年の農村医学会での報告を読むと、かなりの重症です。
「88年5月より幻覚・幻聴を認め、入退院を繰り返される。その間、徘徊・せん妄も出現。89年4月痴呆専門病院に入院。不眠・独語・食物への執着・抑うつ傾向。特別養護老人ホームまでの1年間を自宅で過ごさせたいとのことで依頼がありました」。
依頼主は娘さんで、何不自由のない開業医夫人。老婦人自身にも貸家収入がありました。「費用は惜しみません。家事と身体介護を24時間してください」という、実に気前のいい依頼です。ただし、「『市から派遣されていますから費用は無料です』といってください」という奇妙な注文がついていました。ご本人がひどくケチンボだからという説明でした。
3交代分の人件費を計算してみると、月90万を超えます。
新しい経験で勉強になるからと50万円+交通費で引き受けることになりました。デンマークの3原則を意識し、日常性の継続の確保と本人の自律性、主体性の尊重を基本方針とし、まず、馴染みの人間関係をつくることに力を入れました。
効果は予想をはるかに超えるものでした。仮面のような顔だちが日に日に穏やかになってゆきました。庭に出る、散歩する。口紅をさす。お洒落心も戻ってきました。道で人にあうと挨拶するようにもなりました。
ここで1つの事件がおきました。
通院先の医師が、「コムスンさんに50万円払っているんですよ。もう少し自分のことは自分でするようにならないと……」と口を滑らせてしまったのです。
ご本人のケチンボ精神がムクムクと沸きだしました。
「夜は来なくていいわ」「朝早くも、いりません」
そこで、夜間を少しづつ減らすことから始めました。そして、思いがけないことに、24時間から8時間の介護体制に移行することができたのです。
「お年寄りというのは、お金を自分で管理してもらった方が自立することを学びました」
こうして、自立した生活ができるようになり、費用も安くできるようになり、いいことずくめ。公園のベンチで桜を眺めながら「ああ、生きておって、よかった」ともらしたという話に、会社のみんなで喜び合った矢先、特別養護老人ホームから連絡が入りました。
「入所できる順番になりました」
ご本人はもちろん、「このままで暮らしたい」。
けれど娘さんは、先行きが心配です。
「このチャンスを逃したら、いつ、特別養護老人ホームが空くかわからない。娘孝行すると思って入って頂戴」。
口説かれて3日めの夜、老婦人は言いました。
「あなたたち、戸締りして早くお帰りなさい。ありがとう、嬉しかったよ」
ご本人、さぞ、つらかったのでしょう。入所の3日前くらいから妄想が激しくなりそのまま特別養護老人ホームへ。
農村医学会での報告を、喜久恵さんはこう結びました。
「6カ月の介護から、数多くのことを学びました。労働条件としての24時間介護のあり方、チーム介護の重要性、要介護者ご本人と家族と介護者の関係、介護方針の一致の重要性、記録のあり方等。しかし、ここで、あえて、残された課題をのべさせていただきます」
「日常性の継続と自律性、主体性を尊重することを介護の基本としながら、この方の『家で暮らし続けたい』という願いを守りきれなかったことです。いつでも容易に入退所できる施設があり、大きな負担とならない費用で在宅介護を継続できる社会的支援システムがあれば、ご本人の思いを貫けたのではないかと思っております。1日も早い、そのような諸制度の確立を願います」
この90年は、介護の社会化を提言した89年の介護対策検討会報告(第9話)を発展させて、ゴールドプランが始まった年でもありました。
「ゴールドプラン」は、松永さんたちの夢を一歩前進させました。
「老人介護/夜間も巡回 福岡であすからモデル事業」
これは92年8月14日の朝日新聞の朝刊の見出しです。抜き書きしてみます。
福岡市博多区の在宅介護業者コムスンが15日から5カ月間、夜間訪問介護のモデル事業を実施する。厚生省の外郭団体シルバーサービス振興会などの支援による全国初の試みで、公的サービスの手が及ばない休日・夜間の介護のあり方を探るのが目的だ。モデル事業の対象は、福岡市と志免、久山両町の希望者から計15世帯を選んだ。対象者の負担は原則ゼロ。
来年1月14日までの毎日午後5時から翌朝9時まで、看護婦とケア・レディ(ヘルパー)の2人ずつ2組が巡回訪問して、食事、入浴、排便、散歩の手助けや、ごみ出し、戸締まり、火の始末などの世話をする。休日・夜間を含む24時間介護体制づくりは、厚生省が90年度から始めた「ゴールドプラン」でも最重要課題だ。
1年後の93年7月23日、朝日新聞の朝刊に、続報が載っています。
「在宅老人の早朝・夜間介護 試行は好評」
厚生省は今年度から、介護が必要な在宅のお年寄りを対象にした「早朝・夜間介護のモデル事業」に初めて取り組む。将来の24時間介護態勢への移行をめざし、ニーズや方法、メリットなどをさぐるのがねらい。事業は全国社会福祉協議会を通じて、早ければ8月中にも実施する。全国の民間介護業者で唯一、夜間介護をシステム化している福岡市博多区の「コムスン」の5カ月間試行したが、介護で疲れ切った家族は「ぐっすり眠れる」「仕事や趣味の時間に余裕ができた」「気力と体力が回復してきた」。独り暮らしの寝たきり老人も「夜の不安がなくなった」「入院せずにすみそう」などと好評だった。
予定外だったのは、21人のうち11人については、介護を中断すれば深刻な事態が予想されたこと。資金の当てもないまま、継続せざるを得なかった。その1人、福岡市博多区の山下マサエさん(59)は痴呆症の母、ハツさん(87)の介護を9年間も続けているが、自身も腎臓病で週3回の人工透析を欠かせない。
「もし夜間に他人の助けが無かったら、睡眠不足と過労で共倒れになっていたでしょう」と、無償継続に感謝している。
94年8月11日の朝日新聞には、「榎本憲一コムスン会長に聞く」というインタビューが載っています。
――現状の介護で何が問題ですか。
「これまでの在宅介護は午前9時から午後5時までの時間帯に限られていました。ホームヘルパーはお年寄りの自宅に2、3時間滞在しますが、これだと生活の一部だけの支援で、夜間は家族に犠牲を強いています。家事援助が中心だったという面もあります」
――夜間巡回型の利点はどんなところですか。
「お年寄りは孤独だから、話し相手が必要ではないかという批判もあります。しかし、1回は短時間でも1日に5、6回行く方が気持ちが通じるし、いつも見守られていることをお年寄りは自覚できるようです」
――介護保険を導入するなら、どんなことが必要でしょうか。
「介護は基本的に一対一の関係で、周囲からは閉ざされた面が強かったといえます。介護という仕事の専門性や、お年寄りの状態を維持、回復させることについての評価と、その対価性をはっきりさせるべきでしょう。そうしないと、介護の費用を国民が公平に負担するといっても、納得は得られないと思います」
◇
左下は、NHK『クローズアップ現代』の画面。折口雅博氏の代になったコムスンでは売り上げの多い順に担当者300人が並ばせられました。最も成績の悪い人は折口氏のとなりの席に座らせられることになります。「さらし者のようになって非難されるのです」と元職員が図を書いて説明しました。
右下は、フジテレビの『とくだね!』の画面。「良いケアをしていればお客様は増える、という幻想から抜け出させる」「営業にいかない社員は社風に合わないので去っていただく」などの内部文書を示しながら訴える現役社員の言葉を伝えています。
こうした映像で見る限り折口氏は、利潤を強烈に求めるタイプのように見えます。その折口氏が、理想家肌の榎本さんの心をどうつかんでいったのかは、後の号で。