物語・介護保険
(呆け老人をかかえる家族の会の機関誌『ぽ〜れぼ〜れ』、社会保険研究所刊「介護保険情報」の連載より)

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第42話 危うし「介護保険」 (月刊・介護保険情報2007年9月号)

■コピー機も人も疲労困憊■

 役所で決める→"気心の知れた専門家"で私的懇談会をつくり世論にアピールする→審議会から手際よく答申を引き出し、法案作成→与党に根回し→閣議決定→法案提出→成立。
 これが、日本独特の立法手順だったのだそうです。
 ところが介護保険法は、風前の灯状態に何度も見舞われ、予定より3年も遅れて実施されました。
 その背景に3つの「想定外」がありました。

 まず法案準備中の94年5月、誰も想像しなかった「自社さ連立政権」が誕生。自民単独政権時代のシキタリが土台からひっくりかえりました。
 第2は、私的懇談会「高齢者介護・自立支援システム研究会」に対する老人保健福祉審議会の反応です。
 この研究会には、当時の常識を破り、役所に批判的な人々もメンバーに加えられていました(第20話)。これがメディアの関心を引き、介護保険への支持が高まりました。
 ところが、このことが審議会委員の自尊心を傷つけました。「越権行為だ」という拒否反応を引き起こしましました。

 結局、「システム研報告を前提とするのではなく、介護をめぐる状況認識から審議し直します」と審議会委員のメンツをたてることで、95年2月やっと審議開始。1年の間に本審議会が36回、分科会が12回開かれることになりました。
 並行して、与党福祉プロジェクトや総理府の社会保障制度審議会も開かれていたので、膨大な量の資料づくりと事前説明で、コピー機も事務局員も疲労困憊。コピー機は「前代未聞、限界までこき使われた機械」としてメーカーの博物館に納まることになりました。

■多論羅列の「最終」報告■

 自治労出身の連合副会長、原五月委員に随行して老健審のほぼすべてに立ち会った池田省三さん(当時・地方自治総合研究所事務局長、現・龍谷大学教授)は、96年8月の論座(朝日新聞者刊)『公的介護保険法案をつぶしたのは誰だ』に、辛辣に書いています。  「審議会とは関係者の利害調整機関であり、市民抜きの政策合意過程であることが多い。ただ、それは水面下で行われ、表面上は上品な論議と合意が演じられる。しかし、介護保険創設の審議はむき出しの利権争いとさえいっていいほどの激しいものとなった。多数意見として集約することもできないまま、座礁していった」

 96年4月の最終報告は両論併記どころか、多論羅列というものでした。
 最大の争点である保険者は、市町村を多数意見としながら、国を保険の運営主体とする考えも併記しました。
 被保険者は、65歳以上、40歳以上、20歳以上が併記されました。
 事業主負担は「労使交渉に委ねるべき」「法定7割」「折半」が並べられました。
 利用者負担については定率1割の他に、「2割あるいは8%」という意見も示されという有り様でした。
 は池田さんの『論座』の分類を参考につくってみた委員の勢力分布。「社会的入院」をはじめとする医療権益の防衛を目指す第1グループ、負担回避を最重点におく第2グループ、介護サービスの質・量の向上を求める第3グループです。

 もっとも、高齢者介護対策本部事務局長だった和田勝さん(現・国際医療福祉大学大学院教授)は、「いまだから言えるけど」と委員たちのホンネを披露します。
 「経済界代表の委員やバックにいる実力者の中には、お子さんに障害があったり母上の介護で苦労したりしていて、『個人的には介護保険に賛成です。がんばってください』という方が結構いました。窪田さんは大蔵省時代、厚生省担当の主計官でしたから措置制度の欠点を知り抜いていました。坪井さんも良心的な病院経営者で、研究者としても業績のある方ですから、よく理解してくださり、事実上の賛成派といっていいくらいです。負担回避派に分類されている委員の中には、私の後任の江利川毅くん(現・厚生労働省事務次官)の義理の父上もいましたし……。介護保険そのものに反対という結論でなければ、役所としては、それでありがたいわけでして」

■自治体は自治が嫌い?■

 第3の想定外は、市町村長の強烈な分権嫌いでした。
最後まで徹底抗戦の姿勢をとり、法案を国会に出すことを妨害にしたのは、市長会、町村会の代表でした。
 たとえば町村会は96年5月「介護保険の保険者は国とすること、要介護認定業務は都道府県とすること」という要請書を与党福祉プロジェクト座長宛に出しました。 これを大儀名分に「ヨメの介護が、なにより」というアンシャンレジーム派が、与党福祉プロジェクトを無視して口を出し始めました

 そのころのことを、当時課長補佐だった香取照幸さん(現・社会保障担当参事官)が99年9月発行の雑誌『いっと』47号の座談会でこう打ち明けています。
 「忘れもしない。政府・与党で合意しましょうと、加藤幹事長、山崎政調会長、さきがけの鳩山由紀夫さんなんかが集まっていたときです。そこに、控室で怒鳴り声が聞こえる。何かと思ったら、政府与党として合意を提案するべきはずの梶山官房長官が『俺はこんなものにサインしない』といっている。それに対して菅厚生大臣が、『寝たきり老人を子どもがみるとか、そんな発想だからだめなんだ』とか、大きな声で言い合いしている。それで梶山官房長官が怒って、『わしはサインしない』と帰ってしまった。政府が入っていない3党合意。大蔵大臣と自治大臣はサインしにきたんだけど、目の前で官房長官が帰っちゃったから、じゃ、僕らも帰ろうって帰っちゃった」
 「今にして思えば、市町村の反対に対する懸念が梶山官房長官にあったと思うし、それと、当時、『自社さ』でいくか、『保保』でいくかという政局なんかもあって、その中に介護保険がはまり込んでしまったという面もあったと思う」

 池田さんも『論座』に書いています。
 「介護保険の最大の阻害物が、本来、介護サービスを積極的に引き受けねばならぬ市町村だったという現実は心を重くする。この人たちは、分権を欲していないのかもしれない」

■4段重ねのシンポジウム■

 この状況を変えなくてはと立ち上がった人々がいました。39話でご紹介した「介護の社会化を進める1万人市民委員会」です。
 2枚の写真は、その序曲ともいうべき催しです。
 それは、いっと編集室が事務局をつとめ、96年7月15日東京のヤクルトホールで、立ち見が出る盛況の中で開かれました。

 実行委員長の樋口恵子さんが高らかに宣言しました。
「法案は国会に上程されず第一幕は幕を降ろしました。これからは、市民や女性が議論に加わっていかなければなりません。開幕ベルとともに第2幕が始まります」。
 すると、舞台の幕があがり、「男が語る介護」「女がすすめる政治」など、4組のシンポジウムの豪華な演者が顔を見せました。清水嘉与子(自民)、堂本暁子(さきがけ)、岡崎トミ子(社民)、円より子(新進)、岩佐恵美(共産)と各会派の国会議員もずらり。菅直人さんも駆けつけてマイクを握りました(写真右上、『いっと』44号より)。
 「今国会に法案を出し切れず、非力な厚生大臣と叩かれる側にいますが、次の国会までを、国民のみなさんの理解を得る最大のチャンスとし、よりよい制度をつくるために頑張りたいと思います」

 フロアには、前首相の村山富市さん、衆議院議長の土井たか子さん。
 壇上からの呼びかけに「イエス」ならカードの赤の側、「ノー」なら白の側を出すとういう聴衆参加の方式に、村山さんも土井さんもノッています(写真左)
 「ユーモアを忘れず」「政治家や男性を味方にする」という樋口さんたち「高齢社会をよくする女性の会」のお家芸です。
 省内の反対を押し切って、役所に批判的な人物に研究会に加わってもらった和田さん、香取さんの決断が、危機のとき、威力を発揮してゆきました。

介護保険をめぐる動き(1995−96)

95.02:老人保健福祉審議会審議開始(36話)
95.05:オウム真理教の教祖、麻原彰晃逮捕(37話)
95.06:与党福祉プロジェクト中間とりまとめ(36話)
95.07:社会保障制度審議会首相に介護保険を勧告(36話)
95.07:老人保健福祉審議会中間報告(37話)
95.08:自治労「公的介護保険システム」を提言(38話)
95.08:第2次村山内閣/井出正一厚相→森井忠良厚相
95.12:与党福祉プロジェクト第2次中間とりまとめ(36話)
96.01:阪神淡路大震災
96.01:第1次橋本内閣 /菅直人厚相
96.01:老人保健福祉審議会2次報告(36話)
96.03:介護保険給付を在宅サービスに限定する丹羽試案
96.04:老人保健福祉審議会「多論併記」の最終報告
96.04:与党福祉プロジェクト厚生省に試案案作成を要請(36話)
96.05:与党福祉プロジェクト基本的視点
96.05:厚生省「介護保険制度修正試案」
96.05:町村会が責任返上の要請書を与党福祉プロジェクトに
96.05:梶山静六官房長官 法案に否定的発言
96.05:橋本首相見送り論を否定
96.06:全国市長会決議
96.06:多田宏事務次官の後任に岡光序治保険局長
96.06:自民党合同会議慎重論相次ぐ
96.06:菅厚相辞任も取り沙汰
96.06:厚生省が老福審・制度審に制度案大綱を諮問、答申
96.06:法案の会期内提出見送りで合意
96.07:公的介護保険をめぐる市民集会
96.09:介護の社会化1万人市民委員会発足
96.09:法案修正要綱に与党合意
96.10:衆院選で、社民・さきがけが席を失う
96.10:第2次橋本内閣/小泉純一郎厚相
96.11:厚生省介護保険法案を提出、趣旨説明のみ
96.11:岡光序治事務次官辞任、12月逮捕
96.12:全国在宅ケアサミットin大東

老人保健福祉審議会委員(中間報告が出た1995.7.26現在)
氏名所属など
荒巻善之助日本薬剤師会常務理事
糸氏 英吉日本医師会副会長
坪井 栄孝日本医師会副会長
見藤 隆子日本看護協会会長
村上 勝日本歯科医師会副会長
加地 夏雄国民健康保険中央会理事長
喜多 洋三大阪府守口市長
窪田 弘日本債権信用銀行頭取(大蔵省OB)
下村 健健康保険組合連合会副会長(厚生省OB)
田邉 辰男日本経営者団体連盟政策委員
成瀬 健生日本経営者団体連盟常務理事
早野 仙平岩手県田野畑村長
柳 克樹地方職員組合理事長(自治省OB)
大森 彌東京大学教養学部教授(システム研究会)
京極 高宣日本社会事業大学学長(システム研究会)
橋本 泰子済南女学院大学教授(システム研究会)
樋口 恵子東京家政大学文学部教授(システム研究会)
山口 昇全国老人保健施設協会会長(システム研究会)
見坊 和雄全国老人クラブ連合会副会長
原 五月連合副会長(自治労副中央執行委員長)
吉井 真之連合副会長(造船重機労働中央執行委員長)
石井 岱三全国老人福祉施設協議会会長
黒木 武弘社会福祉・医療事業団理事長(厚生省OB)
多田羅浩三大阪大学医学部教授
水野 肇○医事評論家
宮崎 勇◎大和総研代表取締役理事長
◎会長 ○会長代理
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