1998年6月5日の昼下がりのことです。
論説委員室に配られた夕刊の早刷りを見て、私は飛び上がりました。
様々なマイナス効果が予想されるため、「家族への現金給付」は、介護保険法ではお蔵になっていました(第45話)。私も、社説で、そう主張していました。
ところが、こともあろうに「窓・論説委員室から」というコラムで、それが推奨されていたからです。
書き出しはこうでした。
「2000年4月からスタートする介護保険では、介護する家族に現金支給といった見返りがない。このため、要介護高齢者の世話を介護保険に任せる家族が増えるのではないかと心配されている」
コラムの主は「丘」。有岡二郎さんです。政治部出身の有岡さんは、科学部出身の私が不得意な年金分野の社説の"助っ人論説委員"的存在でした。
本業は編集委員なので部屋も違います。介護保険についてゆっくり話しこむチャンスもないままに時が流れ、「現金給付・裏技の勧め」が「論説委員室から」というタイトルを掲げて、突然、載ったのです。
コラムは、介護保険法に現金支給が組み込まれなかったことを憂え、家族介護への郷愁をにじませていました。そして、京都府園部町の町長、野中一二三さんの提案を、こう、紹介していました。
「公社が頼んだヘルパーが、たまたま、要介護高齢者の家族や親戚だったという形で、介護保険から報酬を出す知恵だ」
「このアイデアは良いと思う」
介護地獄を克服した北欧諸国にも、家族に介護報酬を払う仕組みがあります。
けれど、この方式を採用したのは、ホームヘルパーをはじめとする介護基盤が十分に整ってからのことでした。
「順番を間違えてはいけない」というのが、介護保険にまつわる社説を書き続けてきた私の思いでした。幸い、97年に成立した介護保険法では、家族への現金給付が見送られました。
見送りの理由は立場によって様々です。
その1・現金がもらえるとなると、寝たフリやぼけたフリをして、給付をせしめようという人間が必ず出てくる。介護のために使われる保証がない。
「介護保険には、高齢化の進んだ過疎地で雇用を創出して地域社会の維持に貢献しようという目的があるけれど、ヨメさんの介護を奨励したら、台無しです」
これは、高齢者介護対策本部2代目事務局長の和田勝さんの言葉です。(第45話)
その2・社会保険方式の先輩である医療保険には、「医師や歯科医師が家族を診療した場合、その報酬を保険請求してはならない」という原則があります。
身内への保険給付を認めると、不正請求や仮病が起こりやすい。けれど、それをチェックしようとすると、プライバシー侵害の恐れがつきまとう。介護についても同様だ、という考え方です。
その3・高齢者処遇研究会が94年、全国約400カ所の在宅支援センターと協力した調査結果に基づく心配です。
研究会は、「家庭介護にまつわる虐待が多発している」と警告しました。209件の虐待の内訳は、食事を抜く、おむつをとりかえないなど「世話の放棄」が57%、閉じこめる、縛るなど「身体的虐待」が39%、無視や暴言など「心理的虐待」が32%だでした。
連合が約1万世帯を対象にして調査し、95年に発表した調査でも、「虐待を経験した」と答えた家族が半数にのぼっていました。
その4・「金をもらっているのだからあたりまえ」と「嫁」が孤立することになりかねない。
自社さ連立与党の福祉プロジェクトチームも、同様な見方をしていました。
ドイツの介護保険を真似て介護家族に現金を渡すという案は陰をひそめ、96年5月に公表された厚生省の介護保険制度試案には、こう明記されました。
「家族介護に対する現金給付は、原則として当面行わないものとする。」
9月にまとめられた連立与党の「介護保険法案に対する意見」にも、「現金給付については、当面おこなわないこととし、介護基盤重視への資金投入を優先することとする」と書き込まれました。
公的介護保険制度が支持を得たのは、ホームヘルパーやデイサービスなどの社会的支援が充実すれば、家族が精神的なゆとりをもてるようになり、豊かな情愛を取り戻すことができるという期待からでした。
現金給付を組み込まない介護保険法が97年に成立して、私はほっとしました。
社説は丸テーブルを囲んで喧々諤々の討論をへて掲載されます。ですから、その分野を担当している論説委員と180度違う主張が載ることはありません。
ただ、コラムは筆者に任されています。そのため、びっくりするような見解が載ったのでした。けれど、外のひとが、そんな事情を知るよしもありません。
「全国町村会副会長で、審議会の重要メンバーの野中さんが強力に主張している。それだけでなく、現金給付反対だったはずの朝日新聞まで、野中さんを支持している。だから、まったく無視することもできないのではないか。園部町方式なら、介護保険の仕組みともなんとか折り合えるのではないか。あのコラムを見て、そう、思いました。それが家族介護論争再燃の引き金になったのです」
これは、いまは大阪大学大学院教授の堤修三さんの述懐です。
高齢者介護対策本部は、介護保険法成立とともに幕を閉じ、堤さんが介護保険制度実施推進本部の初代の事務局長に就任していました。
10月13日の未明1時50分、我が家のファクスがカタカタと音を立てて、こんな文面が流れてきました。
「昨日の審議会で家族ヘルパー問題について議論がありました。こうしたことが水面下で行われる事態を避ける意味でも正面から議論をすることとし、審議会にペーパーを出し議論をしていただいたわけです。
家族ヘルパーをまず全面禁止とした上で次のような条件を満たすものに限って認めることにしてはどうかと考えています。
@ケアプランに基づいてサービスが提供されること
A身体介護に限ることとし、家事援助は認めないことBホームヘルプだけで支給限度額を目いっぱい使うようなことは認めないこと
Cホームヘルパーの活動の半分以上は家族以外の者へのサービスに当てられること
D介護報酬は通常より低額とし、これによる介護報酬削減分は外部サービスの利用に回せるようにする
E家族ヘルパーの雇用者は住民参加型の組織にのみ認めることとし、市町村が判断しうるものとすること
Fやむをえない理由がある場合と市町村が認めた場合のみとすること
地下に潜ることがないよう明確に歯止めをしたいという願いもあります。ご意見をお待ちしています。
12日の医療保険福祉審議会の模様を再現するとこうなります。
村上忠行さん 幽霊が形を変えて復活してきたという気がしてならない。
私ども連合の調査でも、家族介護をやっていて、親に対する憎しみとかをもった人の比率が高い、という結果を得ている。
野中一二三さん 厚生省が家族介護に一定の踏み出しをしたことは感謝する。家族介護には密室的な問題があるので地元の民生委員に選択してもらっている。最低でも3級ヘルパーの資格をとらせること、事故がおきた場合、市町村が責任をもてるシステムがあるということが大切である。
樋口恵子さん 大変問題がある。いろいろな歯止めをし、介護の質を保証するための工夫はされているが、結果として、現金給付の復活になる。
2000年までに介護サービスが準備できない市町村の事情は分かるが、それなら、保険料を下げて、「申し訳ないけどここまでしかできない」という形でよいのでは?
審議会の模様を傍聴していた日経新聞編集委員の浅川澄一さんは、野中さんと樋口さん激突の紙面を企画しました。そして、両者の話をじっくり聴いた感想をこう結んでいます。
「ヘルパー不足などに悩む地方の自治体では、家族の助け合いに保険給付する特例を求めたい事情もあろうが、法の成立前に決着した議論を逆戻りさせてはならない。愛情による介護は、制度の枠外に残しておいた方がいいのではと思う」
男性の編集委員、それも、同じ世代なのに、有岡さんと浅川さんが、なぜ、正反対の意見になるのだろうと不思議でした。
もしかしたら、こんな背景の違いがあるのかもしれません。
有岡さんは専業主婦の奥様をもつ伝統的な日本の男性。一方、浅川さんのパートナー、萩尾瞳さんは、映画・演劇・ミュージカル評論家として知られ、浅川さんは家事育児に本格的に参画しているのです。
では、樋口さんと野中さんの違いは?
樋口さんは、母上の看病の体験から、「愛しているからこそ、つらくあたってしまう」という家族の心情を味わっていました。
では、野中さんは?
京都から、舞鶴行きに乗って30分。いまは町長を引退した野中さんを訪ねました。野中さんは、こんな話をしてくれました。
「小学校4年の頃だったと思います。同級生が指を4本出して嫌がらせをし、だんだん頻繁になってきました。私のことを、被差別部落出身だと嘲っていたのです。
そのことをいうと、母は私を力一杯抱きしめて言いました。『いろいろな人がおらはる。足の悪い人も目の見えない人も、耳の聞こえない人もおらはる。みんな一生懸命働いてはる』。
それからもう1度、力いっぱい抱きしめてくれました。
そっと見ると目に涙が滲んでいました。『何も心配せんでいい。気張って勉強しいや。人のためになる人になるんやで』。
このときのことを、いっときたりとも、忘れたことがありません。
その母の最期の3年間、家内が心をこめて看病してくれました。
そのような女性たちに報いたいと思ったのです」