MMWW(えむえむわいわい)。医療をよくしたいと願っている人たちが分野を超えてワイワイ意見交換するゆるやかなネットワークです。
インターネットでのおしゃべりに加え、年に2回、勉強会を催します。
この4月のテーマは、「審議会や検討会と、どう関わるか」でした。
冒頭、公的な委員会にまつわる7不思議が披露され、ディスカッションは盛り上がりました。それは−−
1、開催の怪 なぜ大事な会議が開かれず、大事でないものが開かれたりするのだろか?
2、人選の怪・座長の怪 どのように委員や座長が選ばれるのだろうか?
3、格付けの怪 法律に基づく会議より、大臣や局長の私的諮問会議の方が話題になったり、影響を持ったりするのはなぜ?
4、根回しの怪 事務局から事前説明がある委員、ない委員があるのはなぜ?
5、結論の怪・素案の怪 ろくな審議もしていないのに、事務局たたき台や素案が出てくるときがあるのはなぜ?
6、"中間"報告書の怪 中間報告書と銘打っているのに、「最終報告書」の作成に着手されることもないのはなぜ?
7、選択の怪 推奨された施策が、実施されたり、概算要求に盛り込まれるわけでは、必ずしもないのはなぜ?
数々の審議会の座長や委員の経験者である、東京大学公共政策大学院長の森田朗さんは、『会議の政治学』(慈学選書)を著し、委員をこんな風に分類しています。
バランス配慮型、自己主張型、自己顕示型、専門閉じこもり型、理念追求型、無関心型、拒否権行使型、したたか型。そして事務局のそれぞれへの対処法や戦術を分析し、実例を紹介しています。
「事務局の意見を会議の席で主張してくれるように依頼すると、快く引き受けてくれる委員がおり、説明希望が各省から殺到。ただし、この委員は、最後に説明を受けた役所の意見を会議で述べる傾向があったので、会議直前の時間帯の面会をもとめて、その委員のオフィスの前で順番の"譲りあい"が行われたそうである」
こんな行政主導の慣習に異変が起こりました。
県レベルの改革で画期的なのは、堂本県政のもとで行われた健康福祉千葉方式です。「人選の怪」「根回しの怪」の慣例を破り、人選をはじめ、すべてが公明正大に行われました。こうしてできたのが、たとえば、「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条令」でした。
国レベルでも異変がおきました。
きっかけは2008年の11月のがん対策推進協議会での事務局の提言でした。協議会から予算の提案をしてほしい、というのです。
18人の委員のうち10人が手をあげ、埴岡健一さんを取りまとめ役に「がん施策・予算提言書ワーキンググループ」がスタートしました。
患者代表委員4人、医療従事者委員4人、有識者委員2人。これが実現したのは、がん対策基本法の中に、「患者、家族、遺族の委員を置く」と明記され、18人の協議会メンバーに4人の患者関係者が含まれていたからです。
会議の運営、アンケート作成・集計、タウンミーティング運営など、お役所ではなく、すべてWG事務局が行いました。提案書もすべてWGが執筆しました。
広く意見を聴こうと、都道府県のがん対策担当者、がん対策推進協議会の委員にアンケートを送りました。対策の分野別に問題点と解決策を自由記述してもらうという時間がかかる方式だったのに、全国から183人もが回答を寄せました。
東京と仙台でタウンミーティングも開きました。
ご意見記入シートに109人が意見を書き込みました。写真は、その様子を報じた河北新報のものです。
こうして集まった合計292人の意見の内訳は、患者・市民108人、医療従事者103人、行政38人、有識者・その他27人。これをもとに、13の分野別に論点を整理をし、推奨施策を作成。450ページの提案書をとりまとめました。
アンケートによると、がん予算が「現場に合っている」という意見はわずか11%で、89%が「合っていない」。しかも構造的に、がん予算が「使えない」システムになっていることがわかりました。
@現場の意見が十分に聞かれていないため、ニーズと一致しない
A国の補助金を使うには県が同額を用意しなければならない場合が多いが、県の財政が許さないので使えない
B県は人員・人材・経験も不足しているので事業を行う意欲が少ない
C国の予算項目が変化したりなくなったりするので県は恐れて手を出さない……。
そういった問題が悪循環となっている姿が、下の図のように浮き彫りになりました。
厚労省医政局が、なぜ、協議会に任せたのかは、いまだに謎です。
ただ、2009年3月19日の朝、激務をこなす舛添厚労大臣の部屋に協議会のメンバーが招かれました。
そして、「元気の出るがん対策」という提言を手渡しました。写真はそのときのNHKの映像です。
舛添さんは言いました。
「これこそ現場の声に基づいた提案。こうしたやり方を求めていた。モデルを作ってもらった。こういう風に作れば、みんなで考えられるようになる。がん以外にも広げていきたい」。
メンバーの一人は言いました。
「がん対策基本法ができたとき、山本孝史議員に『これからのがん対策はあなたたちが作るんですよ』といわれ、そのときは、できるはずがないと思いました。でも、このことだったのですね。やれば、できた。」。
(大阪ボランティア協会の機関誌『Volo(ウォロ)』2009年5月号より)