冤罪とメディアの部屋

3つの冤罪事件とメディアの嘆かわしい関係

◆検察が空想で「作った」事件

「証拠品改竄・犯人隠避の容疑で、前・特捜部長起訴」
「検事総長が謝罪会見!」

こんなミダシと写真で、前代未聞のニュースが流れた2010年10月21日の4日前、村木厚子さんのパートナー、村木太郎さんからメールが届きました。

「ゆきさんへ/ご心配いただいた方々へ、えにしメールで、厚子の手紙の転送をお願いできませんでしょうか。」
「えにしメール」というのは、医療と福祉/現場と政策を隔てている深くて広い河に橋をかけようと、2001年に始めたBCCメールです。始めたとき30通でした。
それが、いつのまにか12か国、4500人近い方々が読んでくださるものになりました。"福祉と医療・現場と政策をつなぐ志の縁結び係&小間使い"を名乗ってマスメディアでは軽視されている福祉医療の大事な出来事を、週1回ほど、志高い知人、友人に送っています。

◆「孤独感を感じず1年3カ月余り」◆

内閣府政策統括官(共生社会政策担当)という新しいポストが末尾に記してある厚子さんの手紙を抜き書きしてみます。

9月21日の夜、弘中弁護士から「大阪地検から、上訴権を放棄するという連絡がありました。おめでとう」という電話がありました。
「検察との闘いが終わったんだ」という思いがこみ上げ涙がこぼれました。娘がギュッと抱きしめてくれました。
最後まで闘うことができたのは、皆様がずっと応援して下さったおかげです。
拘置所に勾留された人の心理として、「みんな自分から離れていく」という強い孤独感があるのだそうです。
私は、この1年3カ月余りの間、一度もそうした孤独感を感じずに過ごすことができました。家族も一度も疎外感を味わうことなく過ごすことができました

◆自分の出世のために、部下に偽造させた???◆

「村木厚子さんとご家族に励ましを」と、えにしメールで呼びかけたのは、逮捕の12日後の2009年6月26日のことでした。

厚生労働省の村木厚子さんが、囚われの身になっています。ご家族と会うことも許されず、「私は、関与していません」と気丈に言い続けておられます。 応援している方々の名前を、弁護士さんが接見室の窓越しに伝えることができるだけですが、近いうちに渡せるようになるでしょう。 ご家族に励ましの思いを伝えることは、いまでもできます。 お立場上匿名希望の方はその旨、お書きになって、小間使い,ゆき、dzy00573@nifty.comまでメールを
「匿名希望の方は」と書いたのには、わけがあります。
当時の新聞、テレビは、厚子さんを「政治家の言いなりになって」「部下に無理に文書偽造させた」「立身出世主義の悪徳官僚」であるかのように伝えていました。
左の写真は、無罪が確定して厚生労働省を訪ねた、ふだんの厚子さんの表情です。
ところが、逮捕後の新聞・テレビは、どこから探し出してきたのか、思い切り険しい表情の厚子さんの写真を繰り返し使って、悪女の印象を読者に植えつけていました。
公的な立場にあるひとは、「匿名」でなければ、表立っては応援できないという雰囲気だったのでした。

そのような状況でしたから、「えにし」のHPに、「メディアと冤罪の部屋」を増築したり、「えにしメール」で冤罪を訴えたりする私の立場を大層、心配してくれる友人知人も大勢いました。
けれど、「女は度胸」が信条の私です(^_-)-☆。数えてみたら、1年4カ月の間に20回以上、えにしメールで無実を伝えていました。

◆荒唐無稽・検察の動機不在のストーリー◆

多くの人が「友情ゆえの行動」と思われたようでした。
たしかに、厚子さんは親しい方のひとりです。逮捕された日の4日ほど前に、気のおけない女性4人で夕食をともにし、「私の話をちゃんと訊いてくれさえすれば、検察は、とんでもない思い違いをしていたことに気づくと思うわ」という厚子さんの笑顔にも接していました。
「えにしを結ぶの集い」「ほんまに みんなで考えたい 人のしあわせ」という鼎談に加わっていただいたりして、行政官としての姿勢も信頼していました。

それよりなにより、厚子さんには、動機がまるでないのです。検察は、
@民主党の石井一代議士が、かつての部下に頼まれて、無理な話を持ちかけた
A厚子さんは、「障害者自立支援法」を成立させるためには、議員の言うなりになるしかないと考えた
Bそこで、自身の印を部下に偽造させた
という筋書きをメディアに流し、メディアはそれを鵜呑みにしているようでした。
けれど、この筋書きは、3つとも辻褄が会いませんでした。
@石井議員は当時は野党。その上、障害問題に関心が薄く、この分野にはまったく影響力がありません。厚子さんが気を使う必要は皆無でした。
A係長が偽造したとき、自立支援法は、まだ影も形もなありませんでした。案もないものが取引材料にはなるはずもありません。
B自身の公印の偽造を部下に命じる必要もありえません。

◆「細菌魔」のレッテル◆

私が冤罪を訴えた、それ以上の理由がありました。
検察・警察のリークに操られるメディアの「情けなさ、不甲斐なさ」を、新聞記者経験の中で身にしみ、憤っていたからでした。
ホームページに増築した「メディアと冤罪の部屋」の冒頭に、こう書きました。

メディアはこれまで、数々の冤罪事件の片棒を担いできました。
「細菌魔」のレッテルを貼られた千葉大の無給医局員、鈴木充さん。感染の蔓延を止めようと保健所に通報したために、彼の周辺にチフスや赤痢が多発しているように見えたのです。科学者たちの活躍で一審は無罪。
けれど、連日の報道で先入観を植えつけられた二審・最高裁の判事は有罪を判決しました。
私は冤罪に敏感になりました。

村木厚子さんも、検察のリークを信じたメディアによって、「政治取引のために部下に書類を偽造させた」と連日、報じられました。
自身の公印の偽造を部下に命じるなんて、荒唐無稽です。

千葉大チフス菌事件は1966年の春に火を吹きました。私がつとめていた朝日新聞が、連日のように、「トクダネ」で報じていました。
ところが、科学記者だった1972年、国立予防衛生研究所の科学者たちと出会い、調べれば調べるほど、「犯罪」ではなく、行政の無策による感染の蔓延だ、と確信してゆきました。カステラやバナナに菌を注入しても菌が増えないという実験にも立ち会いました。
「異常性格」と報じられていた鈴木さんに会ってみました。異常のカケラもなく、「良心的、けれど気弱な、ふつうの人」でした。

科学部の駆け出し記者が、社会部の敏腕記者の記事に棹さす解説を書くときの気持ちは悲壮でした。けれど、一大決心をして「自然流行か犯罪か〜チフス菌事件核心へ」を書きました。幸い、一審は、科学者たちの証言によって無罪。
けれど、連日の報道で先入観を植えつけられていたのでしょうか。二審・最高裁の判事は有罪を判決しました。
詳しくは『冤罪・千葉大腸チフス事件』(晩聲社)をごらんください。

◆福祉の町・旧鷹巣町でも◆

「安心して年をとれるまちづくり」に取り組み、日本一の福祉の町に育てた秋田県の旧鷹巣町長・岩川徹さん(写真左端)にも、村木さん同様の運命が襲いかかりました。
2009年7月13日に公職選挙法違反の疑いで逮捕され、夫人とも面会できない日が1年以上続きました。
村木厚子さんの事件とは共通点が3つあります。

・ご本人が否定し続け、そのためか、異様に長い拘留が続きました。
・「岩川さんに買収された」と「自白」したとされた人物が、釈放後、証言を翻しました。
「受け取った30万円は、運転手としての2カ月分の報酬とガソリン代」という証言には説得力があります。このアルバイトの運転手さんは、父子家庭。ハンディのある子をかかえているため「早く留置場を出たかった」「捜査側の筋書きを認めれば罰金で済むといわれたためサインしてしまった」と語っています。

事件の背景には、「福祉より利権」という、この土地に長く続いた政治構造も見え隠れします。
3つめの共通点。それは、日付にかかわる証拠改竄です。

◆東北の町でひっそりと◆

私が冤罪と信じている鈴木充さんは、最高裁判決ののち、医師免許を取り上げられ、東北のまちでひっそり暮らしています。
マスメディアに罵倒され、写真のように、もみくちゃにされた悪夢を忘れることができず、再審への道をみずから閉ざしています。

いま、人々は検察や検察に操られた報道を批判しています。けれど、操られてきたのは、検察報道に限ったことでしょうか?
それは、次の機会に。。。

大阪ボランティア協会の機関誌『Volo(ウォロ)』2010年10月号より)

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