認知症ケアの部屋

社会的入院許す「国の構造」〜認知症の人が精神病院に〜
毎日新聞・くらしの明日・大熊由紀子・私の社会保障論 2011.4.22より

私は「福祉と医療・現場と政策・志の縁結び係&小間使い」という"肩書"を名刺に刷っています。福祉と医療は近そうで遠い存在。人脈も法律も役所の窓口も違います。素晴らしい実践も、なかなか政策に反映されません。
橋渡しをするため、「志がある」と私が感じた方々をつなぐ通称「えにしメール」を始めました。10年たった今は国境も越え、4000人の方々が読んだり転送して下さったりしています。

東日本大震災が起きて4日目の「えにしメール」に私はこう書いて送りました。
「老人ホームの被災はしばしばの報じられていますが、精神病院についての報道は忘れられているようです。鍵のかかった病棟から逃げ出すことができない方々のことが気がかりです」
そして、恐れていたことが現実になりました。
福島第1原子力発電所から10`圏内にある精神病院から運び出された高齢者のうち21人が、相次いで亡くなったのです。
私は、3月18日の「えにしメール」で、こう書きました。
「認知症などのお年寄りを精神病院に送り込むこの国の構造的問題が背後に潜んでいるように思えます」

厚生行政に携わった経験のある福田素生・埼玉県立大教授から届いたメールは痛烈でした。「認知症のお年寄りを精神病院に入院させるのは、精神病患者の大量の長期入院と並んで、日本の医療の恥部の1つ」とした上で、次のように指摘しました。
「精神病院関係団体がお年寄りを使って病院の生き残りを図っているように見えますが、弱い人たちを見捨てるこうした問題を私たちの社会が、自力で解決し、構造を変えることができるかどうか。復興の真の成否はこれにかかっていると思います」

この病院に関する3月23日付共同通信は、救出に立ち会った福井県の応援医師の証言として、汚物にまみれ、カルテもなく、衰弱して亡くなってゆくお年寄りの姿を描き出していました。
私は、認知症の受け入れを標榜しているこの病院を、内側から見ていた人に出会い、こんな話を聞きました。
「開放病棟といえども24時間施錠され、自由な出入りはできませんでした。閉鎖の老人病棟には、寝かせきりの老人が横たわっていました」
これとは対照的な挑戦をしている人たちもいます。
「精神病院は認知症には不向きな環境」自宅まで訪問診療する医師。笑顔と誇りをお年寄りたちから引き出している福祉現場。私は、そんな人たちに各地で出会ってきました。
けれど、その実践が生かされる制度や政策は、なかなか実現しないのです。

社会的入院 「病院での治療」の必要はないにもかかわらず、家族や病院経営の都合で、高齢者や精神病体験者が入院を余儀なくされている状態。日本は社会的入院が飛び抜けて多い。北欧では、「地域で支えるサービスの不足が原因」として、入院費用のツケを市町村に回す政策をとり、成功している。

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