優しき挑戦者(国内篇)

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(33)新知事、村井仁さんの秘められた"過去"と長野発の福祉改革

 2006年8月6日の夜、長野の福祉関係者の間に"激震"が走りました。
 田中康夫さんが知事選に破れたのです。
 ガラス張りの執務室や脱ダム宣言で有名になった田中さん、「施設から地域へ」の実践をしている人々にとって、頼りになる知事だったのです。
 一方、当選した村井仁さんは、反田中陣営に請われて知事選に臨んだ人です。
 ホームページには、こんな文字が並んでいます。
「通産省で貿易、科学技術、中小企業、防衛分野で誠実な仕事をし、…工業技術院のナンバー2として活躍。…1986年、衆議院議員に当選。6期20年にわたって、大蔵、金融再生総括政務次官、大蔵委員長などを歴任、国家公安委員長・防災担当大臣として9・11テロ対策、三宅島災害対策など重責を果たし……」
 いくら探しても、福祉の「フ」の字もでてきません。

■鷹巣、宮城の二の舞い、という不安が……■

 山田優さんから心配そうなメールが届きました。
 「呆然とした時間を過ごしました。国からの冷たい仕打ちにもめげず進めてきた長野県の動きが、新知事にどの程度受け入れられるか…」
 優さんは、県立の巨大施設「西駒郷」に何10年も収容されてきた知的なハンディを負った人々を、まちの暮らしに戻すために奮闘している地域生活支援センターの所長です。
 福祉界のヨシモトの異名をもつ福岡寿さんからもメールがとどきました。
 「新知事のもとでどうなるか、秋からの19年度予算編成がどうなるか」
 東大に2度も入学したという不思議な経歴をもつ寿さんは、どんなに重い障害のある人も地域で受け止める名人です。

 福祉関係の人々が不安になるのも、むりもありません。
 秋田県鷹巣町では、一般財源の3%を介護保険に上乗せすることで「安心できる老後」を実現していました。ところが、岩川徹町長が選挙に破れた途端、人手を厚くする予算はバッサリ削られました。まちの中のグループホームも閉鎖されました。
 利用者もスタッフも、涙々の日々です。

 施設解体宣言で注目された宮城県も、浅野史郎知事が去るやいなや、「解体凍結」が打ち出されました。

■ここがユニーク、長野方式4つの特色■
(※ 図をクリックすると大きくなります。)

 長野方式にはこんな特色があります。
 まず、実力と経験のある「達人」たちが、右の図のように、がっちりとチームを組んでいます。
 施設から送り出す山田優さんたち、地域で受け止める福岡寿さんたち、制度でバックアップする県庁の障害者自律支援チーム(その後、改名して自立支援課)の人たち。。
 ほとばしる情熱をもった人々ばかりです。

 第2は、左の図のように、暮らしの拠点に予算がしっかりついたことです。他県では、志をもった人々が資金を用意しなければならないのですが、長野の場合は、半額を県がもちます。さらに上積みして3分の2を公費でみる仕組みもあります。
 効果はてきめんで、グループホームの数は、下のグラフのように、ぐんぐん増えてゆきました。

 第3は、住いだけでなく、仕事や交流の場など20の政策のパッケージを丸ごと、県が認めたことです。
 グループホームに一日中いるのでは「ミニ施設」になってしまうからです。

 第4は、大阪府立大助教授の三田優子さんたちのチームに、「施設を出たご本人が幸せに暮らしているかどうか」を厳しく見張るお目付け役を委嘱したことです。
 三田さんたちは、顔写真とSOS用の携帯電話番号を載せた右のようなチラシをみんなに渡しています。「権利」という概念を理解できない人を、暮らしの場に訪ねて権利を守るのですが、それだけではありません。
 交流会で仲間づくりを応援したり、ドラマ仕立てで自己主張の仕方を伝授したり……。

■朝の9時、知的なハンディのある人々の話に耳を傾ける"村井のトウチャン"■

 「長野の灯を消さないように」との声が、どこからともなく、沸き上がりました。9月、実行委員会発足。そして、12月なかばの土日、「ながの発・地域で暮らすということフォーラム」が開かれました。
 各地から集まった人々が長野県庁の講堂を埋めました。

 フォーラムの1日目は、制度の壁を超えて、知的、精神、身体の障害、そして、高齢者分野で「地域で暮らす」を実践しているパイオニアたちが登壇しました。
 2日目は、地域で暮らし始めた3人の当事者が、下の写真のような日々の暮らしの映像をバックに、経験を話しました。

 みんなが驚いたのは、村井さんと、東京から駆けつけた厚生労働事務次官の辻哲夫さんが、午前9時には着席して、知的ハンディのある人たちの話に真剣に耳を傾け、しばしば深くうなずく姿でした。
 そして、辻さんと村井さんが登壇。
 ここで、村井さんが"ヒタ隠し"し、選挙公報にも載せなかった"過去"が明らかになりました。

 村井さんは、知的なハンディをもった子たちを地域で支える「四賀アイアイ」をつくる夢を語り合った3人の1人でした。この法人の理事長を長くつとめ、子どもたちに「村井のトウチャン」と慕われていました。
 「選挙の手伝いをしようなどと、絶対思わないこと」というのが、理事長を引き受ける条件でした。
 「なぜ、それを秘密に?」という司会者の問いに、村井さんは答えました。
 「政治家が福祉を大事にすることはあたりまえですから」
 アイアイのために支持者に寄付をつのる村井さんに「そんなことをしたら、選挙のための寄付が減ってしまいます」と反対した秘書を「きみとは一緒にやれない」とただちに袂をわかったエピソード、父を失って、家庭教師や新聞配達で家計を支えた過去が、そうさせたのかもしれません。

 「地域での暮らしを支える予算を削ったりしませんか?」「カナメの人を人事異動したりしませんか?」という司会者の問いへ答えは、こうでした。
 「私は反田中陣営に担がれて知事選に出ましたが、知事になってみて、田中さんもいいことをなさっていたことを知りました。知的なハンディのある人々を地域の中で支える政策も、その1つです」
 「予算を減らしたりしません」
 「人事異動はめったにしないタチです」

 会場に、ホッとした笑顔と拍手が沸き起こりました。

大阪ボランティア協会の機関誌『Volo(ウォロ)』1月号より)
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