濃縮シンポジウムU 「ほんとうの医療改革って?」
福祉と医療・現場と政策の新たな「えにし」を結ぶつどいより
(2006.5.13(土)東京・内幸町のプレスセンターで)

※文章中の資料の画像をクリックすると大きく表示されます。

―濃縮シンポジウムU「ほんとうの医療改革って?」―
濃縮シンポジウム「ほんとうの医療改革って?]のみなさん
左からコーディネーターの小宮英美さん、辻哲夫さん、勝村久司さん、坂本裕子さん、花井十伍さん 、松島貞治さん

山田:  濃縮シンポUのパネリストの皆様、どうかご登壇をお願い致します。「えにし結びたい・む」の前の「自立支援」に続いて、今度は医療を巡って、火花を散らしていきたいと思います。
 そろそろ、濃縮シンポUが始まります。どうかお席にお着き下さい。演奏が終わったところで始まります。どうかお席にお願いします。演奏が終わりました。濃縮シンポUにバトンタッチ致します。
 ネクストの皆様、本当に贅沢な交流タイムをどうもありがとうございました。皆様、ネクストの皆様に大きな拍手をお願い致します。ありがとうございました。

会場:  (拍手)

山田:  みなさま、どうかお席にお着き下さいませ。お願い致します。皆様、資料をご紹介します。封筒の中に、厚生労働省審議官の辻哲夫様の「医療制度改革法案の目指すもの」と「小さないのち」の坂下裕子様の補足資料とが入っております。
 さあ、どうぞ皆様、この続きの交流は、全体が終わってから、またゆっくりと深めて頂くということで、よろしくお願い致します。お席にお着き下さいませ。お願い致します。お席にお着き下さいませ。
 では、濃縮シンポU「ほんとうの医療制度改革とは?」コーディネーター、NHK解説委員の小宮英美さん、よろしくお願い致します。

会場:  (拍手)

―コーディネーター、NHK解説委員の小宮英美さんが、ここにいるわけ―
NHK解説委員の小宮英美さん

小宮:  なぜ私がここにいるか、実は、私は大熊由紀子さんに頭が上がらないんです。最初にお会いしたのが、まだ私が学生のときで、就職活動で朝日新聞を訪ねました。その頃は均等法前で女性の職場ってあんまりなかったんです。大先輩のマスコミの方のところをお訪ねしました。でも、その後もう1回お世話になりました。
 私、「NHKなんか辞めたい」と思ったときがあったんですけれども、そのときに何と、NHKの人に相談に行かないで、大熊由紀子さんのところに行って、「もう辞めたいんです」と言ったんです。さすが医療のこととかやっておられる方で。すごく受容的に聞いて下さって、「そうよね、そうよね」と言いながら、相談にのってくださった、そして、辞め方は全然教えて下さらなかった(笑い)。それで、今もこういう仕事をしております。
 ということで、今日は"親分の命令"ということで駆けつけて、私に務まるどうか心配ですけれども、医療の方のコーディネーターをさせて頂いております。
 「ほんとうの医療改革とは?」というお題を頂いております。「ほんとう」という文字が付いているところが、ポイントです。

―ほんとうの医療改革にせまる―

小宮:  今、国会に医療制度改革関連法案が出てるじゃないですか。でも「ほんとうの医療改革」じゃない感じがしませんか。今日はこれが本当の医療改革になるのか、もし不足しているなら、もっとどういうところを改革していったらいいのか、していきたいのか、そんなところをざっくばらんに参加者の方々から話を頂けたらと思っております。

 ただ、ディナーでいったら、今日は、ステーキあり、鮑あり、伊勢エビあり、フォアグラあり、みたいな感じで。どの方も一人で70分くらい講演されても不思議のない方で、とても盛りだくさん。コーディネーターをお引き受けしたとき非常に迷ったのですけれども。私の役割は、できるだけ話さないでできるだけ時間を確保することではないかと思いますので、早速、流れだけをご説明だけして、討論に入りたいと思います。
 医療制度改革関連法案、来週の衆議院がどうなりますかという状態であります。お店の棚に商品が載って、みんなで「こうしてよ」とか「ああしてよ」とか「やっぱりこれは変えたくない」とか議論する最中です。

―まず、医療改革の最高指揮官 厚生労働審議官の辻哲夫さんから―

 まず、厚生労働審議官の辻さんから今回の医療制度改革が何を目指して、何でそれをやりたいのか、この思いの部分を語って頂いて、その後、中医協の委員をされている、医療情報の公開・開示を求める市民の会の世話人の勝村さん。病児遺族わかちあいの会「小さないのち」代表の坂下さん。それから、全国薬害被害者団体連絡協議会代表世話人の花井十伍さん。長野県泰阜村村長の松島さん。この4人にだいたい7分ずつくらい問題提起をして頂いて、その後、残った時間を使って、「今度の改革でちゃんとしてくれるの」とか「もっとこうしてよ」みたいな話を全員でまたできればと思っています。
 では辻さん、お願い致します。

―「医療費より、医療の質の改革法案、というのがほんとうです」―
厚生労働審議官の辻哲夫さん ※辻さんの資料:「医療制度改革法案の目指すもの」

辻 :  ご紹介して頂きました、辻でございます。本当に貴重な機会ですので、私ども厚生労働省として提案している法案のねらいをお話させて頂きます。
 この法案、医療費を適正化してほしいという強い要請があった中で、それに対応するかたちで始まりました。そうした背景から、医療費を適正化するための法律だ、といったような議論がよくされるのですが、「ほんとうに」と言いたいのは、私どもは日本の、我々の健康と医療の質をどうするかを明らかにする「改革法案」だと考えております。資料を用いながら説明させて頂きたいと思います。

―「生活習慣病時代」の到来が、改革お前提に―
資料1ページ
↑資料1ページ 資料2ページ
↑資料2ページ

辻 :  医療構造改革と私どもは言ってるんですが、構造改革たる以上、前提となる今の疾病の状況をどう見るのかが大切になります。WHOも言っていますけれど、「21世紀は生活習慣病の時代である」ということ。それ以外の病気はいいんだという意味ではありません。大きな流れとして、生活習慣病が大きなメインストリームになっています。

 資料の1ページを開いて頂きたいんですけれども、太る、運動しない、ということで、肥満症、糖尿病、高血圧症といった生活習慣病になり、これが重症化する。脳にくれば、脳卒中、心臓にくれば心筋梗塞等、腎臓にくれば人工透析。そして急性期の医療を経て、長期の介護状態になっていく。生活の質は落ちていく、こうなっているわけですね。
 40歳以上の人は、男子の場合は半分近くですか。この境界領域にある。ないしは2つ目の箱にはいっている。大変な時代がきております。これに対する予防政策をまずちゃんと示す必要があるということで、私は予防可能だと思います。このことを取り組むべきだと思います。
 しかしながら、2つ目の箱へ、そして3つ目の箱へ全ての方が行かずにすむとは、残念ながら言えません。では、3つ目の箱、4つ目の箱の状態になったときどのようにしていくのか。生活の質が落ちるわけですけれども、その状態でいかに良い治療が受けられ、我々はよりよい生活ができるのか。このようなことをこれからきちっと明らかにしていかなければいけないということです。
 それを見る上で、次の2ページをご覧頂きたいと思います。有名なグラフですけれども、病院死亡率が8割を超えている、在宅と逆転しているということですね。

―あなたはどこで死を迎えたいですか?―
資料3ページ
↑資料3ページ 資料4ページ
↑資料4ページ

辻 :  そして次のページご覧頂きまして、暗い話で恐縮ですが、年間で約100万人の方が現在の時点で亡くなっています。それが、あとたった30年で、年間170万人の方が亡くなる、という史上最大の死亡数を迎えることになります。病院死亡率が8割という中で、こういうことを迎える。いったいどんな国になるのでしょうか。皆様、いろいろと想像を巡らせて頂きたいと思います。
 病院が悪いという意味でなく、今のような形で病院で亡くなるのが幸せなのかということです。どのようにしたらいいのでしょうか。30年先にこうしたことがやってくるのに対して、きちんとした絵図面が必要だと思います。

 もう一つは、近年、医療に対する不安が生じていることではないでしょうか。私どもはあれこれ言いながらも、医療はちゃんとやってくれると思っていた感がございます。しかし、様々な訴訟が起こる。あるいは最近の産科、小児科医師の不足問題。我々は医療のあり方に、本音で心配する時代になっているのではないでしょうか。これに対しても応えていかなくちゃいけないということだと思います。

 そういう状況で、どういうふうな方向に持っていったらいいのか。そのスキームを説明しますと、4ページでございます。
 今の医療の状況というのを大雑把に言いまして、多くの方々は病院で亡くなるしか道がない。そうなんだろうか。本当に病院の急性期の医療を受けたら、その次に必要なときは回復期のリハビリテーションを受けて、そして在宅に帰れないのか。どうしてこのことができないのかということをまず問うべきだと思います。

―医師と患者を結ぶ情報公開とは? かかりつけ医とは?―

辻 :  様々な訴訟が起こる、様々な問題が起こっている中で、究極の問題は、医師と患者との信頼関係に揺らぎが生じていることだと思います。医師と患者の信頼関係を確立するためにはどうしたらいいだろうか。まず、情報が開示されることだと私は思います。

 もう1つ大切なことは、平素からの人間関係がベースにある医療でなければならないと思っています。かかりつけ医って、一体なんなんでしょう。
 夜間、あるいは土日は、救急車でしか対応ができない。簡単な相談もできないということでよいのでしょうか。もし医療がかかりつけ医療であるとすれば、それは私たちが望んでいたものなのでしょうか。
 私どもとしては、次のような絵図面を書いております。まず医療情報が十分に提供される。それは、今、どのような医療がどこで受けられるかという情報。もちろん医療の内容も表示されるべきだ。そしてどのような医療がどのように受けられるかについて、各県できちんと計画を作るべきです。それも、脳卒中、癌、小児科、そういった事業別に、急性期の医療から、必要な連係病院を経て在宅に帰るという道筋が、この県ではどのように作られているのかということを計画として作られるべきだと思います。

―「在宅」は、自宅だけではなと。ケアハウスやグループホームも「在宅」―
資料6ページ
↑資料6ページ

 そのような中で、最後は、地域生活の中で医療を受けることが幸せだと思います。そのためには「在宅」というわけですけれども、私どもが言っている在宅は自宅だけではありません。生活の場です。例えば、これからはケアハウスとか、あるいはグループホームとか、それから、後で改めて申し上げますけれども、住宅政策との連携が必要です。高齢者に配慮された、障害者に配慮された住宅に対して様々なサービスが来るべきです。そのような流れをどうしたら作れるのか。これをやろうではないかというのが今回の医療改革でございます。

 イメージを言いますと、6ページを開いて頂きたいのですが。例えば、脳卒中の例で言いますと、急性期の病院はどこか。そして、その病院から回復期のリハビリテーションは、どことどこにあって、どうつなげるようになっているのか。1回目の入院ならそれで自宅に帰れるかもしれません。2回目であれば、もうちょっと長期のリハが必要かもしれません。そして、在宅に帰る。そして、在宅に対しては、かかりつけ医がいるという姿をどう作るのか。

―在宅に出向き、在宅を支えるための医療改革―
資料9ページ
↑資料9ページ

辻 :  そして9ページをご覧頂きたいと思います。とても大事なことは、在宅に医療が及ぶことです。今、中村さんのお話にありましたけれども、本当に隔世の感があります。本当に介護サービスは大幅に積み増しされました。
 老人が家に居ることができなくなるのは、介護力がなくなるか、医療で不安があるか、のどっちかです。介護はできてきた。居住系のサービスが進めば更に体制が整います。残るのは、実は医療なんですね。困ったときは救急車の対応しかない、というような状況に、なぜ、なってしまったんでしょうか。在宅に対して、医療が出向くべきだと私は思います。そのためのシステムをどう作るのか。

―「広告規制の緩和」から一歩進んだ、医療機関に求める情報公開とは―
資料5ページ
↑資料5ページ

辻 :  そして、この5ページですね。今申しましたようなシステムを、県毎にきちんと、病院の機能分化、病院と病院とのつなぎ、そういったものを話し合って頂いて、それが全部公表される。
 今までは、広告規制の緩和を中心に議論してきましたが、基本的には、積極的に公表されないと、みんなの目に入ってこないので、今回の改革はこれらのことを積極的に公表する。インターネットに載せる。これは大変大きな改革だと思います。いろんな機能を載せていくということで公表したいと思います。

―「救急医療」と「かかりつけ医」、そして、療養病床の再編―

辻 :  もう1つの話です。小児医療のことが大変議論になっています。重点化、集約化と言っていますけれども、きちんとした手厚い医師の体制を作るという拠点を各県ごとに整備すべきだということを今、急いでおります。そういうことを今回の改正法ではちゃんと位置付けるように入れております。
 もう1つ私が言いたいのは、結局、小児救急で病院の医師が大変消耗しているのは、軽い治療も病院に行っているのですね。9割は入院する必要のない軽医療だと。相談するだけで対応できる医療需要も相当入っている。なぜ、時間外と土日の対応がかかりつけ医でできていないのかということも私は合わせて問い直されるべきだと思います。

―老人医療費の都道府県格差…そこからみえる現実は―
資料10ページ
↑資料10ページ

 そのような状況の中で、特に医療費の適正化との関係では、療養病床の再編というのが大変、話題となっております。

 10ページをご覧頂きたいと思います。日本の老人医療費は、長野県の60万円と北海道、福岡で90万円と、下から上まで1.5倍の差があります。長野県が医療費が低いから長野県の人は不幸せで、北海道、福岡県は医療費が多いから幸せなのでしょうか。医療費が多いのが必ずしも幸せかどうかということについては議論が必要かと思います。
 私どもは単純にそうは思いません。この格差、箱グラフの黄色い部分は入院医療費なんです。入院医療費が高いところは医療費が高く、低いところは低いと。老人の入院医療費を多く占めているのは療養病床です。これをどう考えていったらいいんでしょう。

―「医師がかかわっていない」という、療養病床の現状―
資料11ページ
↑資料11ページ 資料12ページ
↑資料12ページ

辻 :  次のページ。中医協で、3年間2億5千万円かけて、徹底調査した調査の結果なのですが、医療型療養病床も介護型療養病床も、医師の関与がほとんどないというのが半分くらいだと。1週間に1回というのも相当あるということが分かりました。
 このような状況で、療養病床の性格をはっきりしなければならない。医師の関与が相当必要な人に限るべきだ。それ以外は生活の場で医療が行われるべきだということです。

 その次のページにありますように、基本的に最低限、老健施設への転換を致します。追い出しが始まるということではありません。最低限、老健施設に転換するということです。看板が変わるということです。
 したがって、その病棟がなくなるから出て行ってくださいということはありません。そのような誤解がないようにお願いしたいと思います。

―介護保険改革に追いつけ追いこせ医療改革―
資料13ページ
↑資料13ページ

辻 :  しかしながら、その次をどうするのかということで13ページをご覧頂きたいと思います。私たちは、基本的には、これから十分議論して頂きたいと考えておりますけれども、行政側の、私たち厚生労働省側の思いとしては、介護保険で相当サービス整備が進んできたとおもっております。小規模で、地域に密着した居住系のサービスで高齢者を処遇していこうという大方針を中村さんが、介護保険改革で確立しました。当然それに対して医療が及ぶべきです。
 ただ、さっきの資料にありましたように、急性期のベッドは確保される。急性期の必要な治療は受ける、そして帰ってくるという前提の在宅です。入院したい人を拒む必要はありません。
 そのような形で居住系サービスに対して、直接、介護が様々な形にリンキングしていく。これはチーム医療が不可欠です。これから地域ケアという場合に、チームが不可欠です。医師、ケアマネージャー、訪問看護師、介護士、様々なシステムが地域でチーム化する。これは不可欠な方向です。

―国土交通省と厚生労働省が重要ポストの交換人事したわけは……。―
資料14ページ
↑資料14ページ

 大きなポイントは次のページにありますように、大体各国とも施設サービス系のシステムと住宅系のシステムと両方あるわけですけれども、日本は住宅系のシステムが非常に不足していることです。今回、国土交通省と、重要なポストで、課長の交換人事を行いまして、高齢者向け住宅に対して特定施設として、介護保険が適用される仕組みにして、これから高齢者向け住宅をきちんと整備して頂く。

 そして、今の在宅系サービスに医療、介護がリンキングすれば、皆がよりよい生活ができると思います。そして、地域の中で生きることがいかに素敵ということは、惣万さんが言ったとおりです。私たちはそういうものを目指したいと思います。これを実現するのはなかなか大変ですが、私どもとしては県単位できちんと話し合っていくようにして頂きたいと考えています。そして、その話し合いについては、地域住民も参加すべきです。

―医療改革が進む中で、一番必要なものとは―

辻 :  この法案の目指す中身が、現実のものになるかどうか、これから皆様もこの法案をどう受け止めて、どう意見を言って、その目指すものをどう作っていくのか。
 医師のあっせんも医局だけでは動かなくなってきていると指摘されています。だとしたら、都道府県知事が音頭を取って、大学も各公的病院も医師会も一緒になって県内の医療のあり方を語り合うべきです。そのような過程において私は何らかの形で住民の参加が不可欠だと思います。
 どのようにこれから議論行っていくのか、何卒お願い致します。短時間なので、一方的に話してすみません。

会場:  (拍手)

―「厚生労働省、今回は本気だな」という改革になってきました―

小宮:  どうもありがとうございました。今の話にもありましたように、療養病床の改革の話が去年の12月の末、大綱の出た後に出てきたので、みんなびっくりしました。ほんとうにびっくりされた方が多いんではないかと思いますが。
 逆に、厚生労働省、今回は本気だなといったような感じの改革になってきました。その根底にあるのは、医療がほんとうに必要なところには、医療がきっちりとお金をかけられるようにするためにもということがあるのではないかと思います。
 この後に、医療のユーザーの立場から、今、現場でどんなことが起こっていて、どういうふうに改革しようかということで、いろいろな運動に取り組んでいる方々から話を伺っていきたいと思っています。
 まず勝村さんですけれども、勝村さんは中医協の委員もされていますが、お子様を陣痛促進剤を使った無理なお産で亡くされて、裁判で勝ち抜かれるまで頑張って、今、領収書や明細書、そういうものを医療機関に出すように、そういう運動をずっと続けてこられた方です。勝村さん、お願い致します。

会場:  (拍手)

―中医協委員、医療情報の公開・開示を求める市民の会世話人、勝村久司さん―
「情報開示を改革の突破口に」という点で意見が一致した医療改革の最高指揮官、辻哲夫さん(厚生労働審議官)と中医協委員の勝村久司さん(医療情報の公開・開示をもとめる市民の会事務局長 ※勝村さんの資料:「本当の医療改革とは」

勝村:  ご紹介頂いた勝村です。よろしくお願いします。
 PowerPointのスライドでお願いします。

―明かされる、衝撃の事実!日本の日別出生数―
資料2ページ
↑資料2ページ

勝村:  辻さんから、8割以上の人が医療機関で亡くなっているというお話がありましたが、産まれるときは99%が病院または診療所で生まれています。
 このグラフは厚労省が発表している出生数の中で一番新しい2004年12月のデータをもとにしています。2004年は1日あたり平均すると3080人くらいの赤ちゃんが生まれています。
 ご覧頂いたら分かりますように、火曜日の平均は3400くらいで、日曜は2300くらい、曜日によって1000人以上の差がついていることが分かります。厚労省が、初めてこの種の統計をとったのが20年前なんですけど、そのときから変わっていません。
 つまり、一番多いのが火曜日で、日曜日の1.5倍ほど生まれるという事態じが、この20年間ずっと変わらずにきています。

―さらに今、白日のもとに!日本の時間別全出生数―
資料3ページ
↑資料3ページ

勝村:  次のスライドをお願いします。今度は時間別に見たグラフです。2004年は、1日あたり3080人ですから、年間で約111万人の赤ちゃんが生まれています。それを全部時間別にプロットしたグラフです。午後2時が夜間の2.5倍以上生まれています。
 これも、この20年間、厚労省が最初に統計をとった年からずっと、午後2時が一番多くて、夜間の2.5倍以上生まれている、いえ、生まれさせられているという実態があります。

―グラフで明らかになる恐ろしい事実―
資料4ページ
↑資料4ページ

勝村:  次のスライドをお願いします。このグラフは助産所で生まれた赤ちゃんだけで、時間別のグラフをとってみたものです。今、助産所で産まれている赤ちゃんは、1〜1.5%で、実数が少ないので、厚労省が統計を取り始めてからの20年間に助産所で生まれたすべての赤ちゃんをプロットしています。
 そうしますと、朝6時に多くて夜の6時が少ないという若干の波が見えますが、あまり時間による差はありません。これが本当の人間の生まれてくるリズムですが、こういうリズムで生まれてきている子が日本ではこの数十年間ほとんどいないのです。
 99%の病院・医療機関では、ずっと午後2時に無理やり生まれさせられているということがずっと続いてきました。

―ご存じですか?陣痛促進剤が使われる手口―
資料5ページ
↑資料5ページ

勝村:  次のスライドをお願いします。そういう無理なお産をしていく中で、被害が起こっています。それが一般に「陣痛促進剤被害」と言われているものです。
 私の子どもも、そうでした。15年前のことです。月曜に入院させられ、火曜日の午後2時に無理に生ませようとして、その直前、火曜日の正午頃に、緊急帝王切開になりました。無理なお産がされる理由は、土日とか夜間等の人手が少ない時間を避けるためです。
 月曜に無理矢理入院させて、火曜日の外来が終わってから、夕方帰れるように、午後2時頃に生ませるというような流れが基本的にあって、そういう医療する病院は黒字になり、夜間もきちんと、長い時間かかる自然分娩に付き合おうしている医療機関が赤字になるという構造で続いてきました。

 しかも、自分たちがどんな医療を受けているか、カルテもレセプトも見られない中で、「血管確保の目的で点滴をします」とか、「子宮口を柔らかくする薬です」とか言われて投与された薬が、実は無理矢理陣痛を起こさせる薬だった。それが、事故が起こった後で分かったことなんです。先ほどのお話で福祉改革が始まったという90年の12月に起きた事故でした。
 僕は大阪で高校の教員をしていますが、もし生きていれば娘の星子はこの春から高校に入学していたはずです。15年経ってしまった話です。

―当事者にとっての陣痛促進剤被害の共通点―
資料6ページ
↑資料6ページ

勝村:  次のスライドをお願いします。陣痛促進剤の被害はいまだに非常に多くて、新聞でつい先日も1面で大きく、厚生労働省が添付文書を改訂したあとも、既に100人以上が死んだと報道されました。
 共通しているのは、インフォームド・コンセントと言われて久しい中でも、知らない間に飲まされているというようなことがあります。一生懸命被害の苦しみを訴えているのに、バカにされたように放置されて、取り返しのつかないところまでいってしまうというのも共通点です。

―産科医にだけ配られた一冊の本に書かれていたこと―
資料7ページ
↑資料7ページ

勝村:  次のスライドをお願いします。3つ目に情報の非公開とあるのですが、被害者が被害を受けて集まっている中で、良心的な産科の医師がくれた冊子を見てみると、実は日本産婦人科医会、当時は日本母性保護医協会という産科医の団体が、30年以上前の1974年に全国のすべての産科医だけに1冊の冊子を配布していたことがわかりました。
 そこに何が書いてあるのかというと、陣痛促進剤、つまり子宮収縮剤の乱用によって、胎児死亡、胎児仮死、重度の脳性麻痺、母親死亡、子宮破裂が頻発している、と書かれてあるわけです。だから、「気をつけられたい」と、そのときから言われていたのです。
 しかしそれは、「裁判も起こされ始めているから気をつけよう」という、いかにも裁判対策のためにという形でした。事故をなくそうという思いの込められたものではなく、医師以外にはその情報は隠されて来たのです。

 その結果、それ以降多くの脳性麻痺の子どもが産まれてきて、だけど、その脳性麻痺は先天的だと思われてきた。74年にそれが出されているので、72、73年くらいには相当な事故があったのでしょう。それ以降ずっと一貫して同じようなことが繰り返されているのです。
 現に同様の冊子は、その後も毎年のように、産科医だけに配布されていて、助産師とか実は厚生省にもそのことは伝わっていなかったわけです。

 私たち被害者がその冊子を92、93年に厚生省に持っていって、厚生省が慌てて能書を改訂しました。なぜなら、その冊子には「添付文書に書いてある使用量の半分以下しか使うな」とか、「この薬の怖いところは、感受性の個人差が200倍以上あることだから、筋肉注射で打っていいと添付文書に書いてあるけど、1分間に3滴という非常にゆっくりした点滴を始めないといけない」と書いてあったからです。
 にもかかわらず、厚生省に僕たちが冊子を持って行ってなかったから、添付文書の改訂もされてなかったというようなことがあった。だけど、その後添付文章が改訂された後も産科医療では、死んでしまった子どもだけでも100人以上を超えたというのが報道されてきているということが続いてきているわけです。

 一方で、母子健康手帳とか母親教室ではそういうことは一言も語られてなくって、知らない間にみんな使われて被害にあっています。

―レセプト開示からはじまる、本当のインフォームド・コンセント―
資料8ページ
↑資料8ページ

勝村:  次のスライドをお願いします。僕としては、子どもは死んでしまったんだけれども、何とか同じような被害がこれを機になくなるということであれば、子どもの命にも意味が出ると思って活動を続けていますが、最初に見てもらったグラフが自然なグラフになる、ということにならない限り、感受性の個人差が200倍もあるような薬が乱用されている限り、ずっと被害は続くと思っています。

 そのためにはどうしたらいいかということですが、インフォームド・コンセントとか、医者に倫理を求めるとかということよりも大事なことがあります。
 何がおかしいかというと、むちゃくちゃだと思う医療をしているところが、黒字になって、これだけやって頂いて本当に感謝に堪えないというところが赤字になっている。そこを変えなきゃいけない。
 だけど、そこを変えるためには、そうなっていることを知らないと、国民の声が上がらないから、変える力が生まれない。そういう意味で、医療費の明細を見ていくことをしなきゃいけない。多くの被害者の人と知り合う中で、レセプト開示という運動が必要なんじゃないかということで、続けてきました。

―理不尽な医療単価の、しかも知らされずに放置―
資料9ページ
↑資料9ページ

勝村:  次のスライドをお願いします。レセプトの大事なのは、医療費の単価、単価は価値であるので、価値観を決めていることです。
 レセプトを見てみて僕らが感じるのは、普段は見られないですけど、見ていて感じるのは、なぜこれにはこんな高い単価で付いていて、なんでこれがこんなに低い単価なのか。普通の市民感覚でいったら価値観が合わないような単価がいくつもある。そこがなぜそのまま放置されてきたのか。全く国民に知らされてこなかったということがあるわけです。

―不本意な医療が起こるその理由―
資料10ページ
↑資料10ページ

勝村:  次のスライドをお願いします。これは大熊由紀子さんの作られたグラフです。ゆき.えにしネットのHPに載っているかと思います。
 ここで、日本とデンマーク、アメリカの3つを比べて頂きたいと思います。医療費が足りないから日本の医療が貧しいのではないかと言われているわけですけど、実は日本の医療費より1人あたり2倍もあるアメリカの満足度が低い。単に医療費を増やすことだけでなく、どんな医療制度にするのか、どんな価値観の単価にしていくか、ということが大事なのです。中身を見ずに量が多ければいいというものではありません。
 特に今は単価の価値観が患者の価値観と合っていないから、不本意な医療が起こりやすい。

 不本意な医療が起こりやすい単価のままで総額を増やしていくと、ますます不本意な医療の総量が増えてしまう。不本意な医療の極みが医療事故、医療被害だと思っているので、やはり単価を変えていかねばなりません。
 1人あたりの医療費が同じである、日本とデンマーク。にもかかわらず、デンマークの満足度が高いのは不本意の医療がきっと少ないのではないか。きっと単価の価値観が違うんじゃないか。そういう声を市民があげていく必要があると思います。

―「ヒヤリハット」より、ほんとうの事故はら学ぶことが大切―
資料11ページ
↑資料11ページ

勝村:  次のスライドをお願いします。そのような中で、この15年の間に、全く見ることができなかったカルテやレセプトも開示されるようになってきました。昨年には厚労省の医療安全対策のワーキンググループなどにも、僕などが入れてもらえるような形になってきました。
 その医療安全対策の報告書の中で、当たり前のことなんですけれど、医療事故の原因究明、医療事例を分析していくということがまとめられました。それまではヒヤリハットだとか、インシデント・レポートなど、ヒヤリしたことばっかり分析したんだけど、本当の事故から学んでいくということを始めてもらうことができましたし、情報共有が大事だということも書いてもらうことができました。
 いよいよ第1段階の医療改革、何が問題でどうあるべきかが分かってもらえる時代が来て、いよいよこれから大きな改革になっていくんだと思います。

―知ることから始まる、国民参加、患者参加―
資料12ページ
↑資料12ページ

勝村:  次のスライドをお願いします。これが最後です。中医協の改革です。中医協にも、僕なんかも入れてもらえるようになりましたし、開業医さんの代表だけだったものが、病院の代表も入るようになってきて、しかも、薬害エイズの反省を受け、厚生省の審議会がどんどん公開される中で、一番最後まで公開されなかった中医協も公開されて、市民によるパブリックコメントとか公聴会も初めて開かれるようになってきました。
 そうやって、みんなが意見を言う中で、どういう医療に価値があるのかいうことに突き詰めて議論できるようになってきた。
 出産だけはまだ保険適用になっていないから、自由診療のままなので、実態把握もできていないし、看護基準のように助産師基準を作ったり、何人の医師を置くことが大事なんだということとか、そういうことも全く言えない。その辺が問題なんじゃないかと思います。

 3つ目なんですけれど、領収書の発行の義務付けは終わりましたが、医療費の請求の明細書、レセプト呼ばれるものが健康保険組合に送られるものと同じものが患者にも手渡されるということが、ようやく始めることができる体制までできましたが、まだきちんと始まっていない。
 まず厚労省の国立病院から、よい見本として始めてもらって、患者が点滴の中に何という薬が入っていたのか、正式名称が全部分かり、患者が使われた血液製剤も全部分かりますし、それぞれにどんな単価、価値観が付けられているのかが分かって、初めて国民が意見を言っていける。本当の意味での国民参加、患者参加という形ができていく、こういうところをこんごさらに求めていきたいと思っています。
 どうもありがとうございました。

会場:  (拍手)

小宮:  どうもありがとうございました。医療としてもっとも適切だから進められているのかなぁと思っていたら、病院にとってもっとも経済性が高いということで進められていたのであってとても困ります。レセプト、明細書の公開を通じて、求めていこうというお話でした。
 次は坂下さんです。坂下さんは「小さないのち」の代表でいらっしゃって、お子さんをインフルエンザ脳症で亡くされています。そのとき、インフルエンザにかかってほんの風邪だと思っていたときに、いろいろな症状が出てきたとき、救急車を呼んだんですけれども、いろんな病院を盥回しにされているうちに大変なことになって、子どもさんを亡くされています。そのお立場からお願い致します。

―病児遺族わかちあいの会「小さないのち」代表の坂下裕子さん―
わが子を1歳でなくした経験から小児救急医療体制 の充実を訴えた坂下裕子さん (病児遺族わかちあいの会「小さないのち」代表 )

坂下:  坂下です。よろしくお願いします。今お話頂いたとおり、私には可愛いとても元気な女の子がいたんですけれど、1歳の誕生日から間もなく、突然のように亡くなってしまいました。

―救急車に載って病院にたどりつくまでに4時間半!―

坂下:  死因はインフルエンザ脳症。当時、治療法がはっきりしないと言われました。でも、私はこの死がどうしても納得できませんでした。おそらく、患者が医療に求めるものは、満足以上に「納得」ではないかと思います。
 救急車に乗ってから病院が見つからず、辿り着くまでに4時間半かかりました。途中、経由した医療機関で「大したことはない」と見なされて、私は「絶対にそんなことはない」と訴えましたけれども、聞き入れてもらえなかったという無念もあります。
 そうして子どもを亡くして、周囲から言われたのは、「病死なんだから仕方がない」という言葉。これは私を孤独に突き落とす言葉でした。

―「孤独」という文字の語源とは―

坂下:  皆さん、「孤独」というのはどんな語源があるかご存じでしょうか。孤独の「孤」という字は、親を亡くした孤児の「孤」。「独」の方は、年老いて子どもがいない人を意味するということを、ずっと後で知りました。孤独に落ちて、分かってもらえる人はいないと思いました。
 大阪市の救急担当者に、「どういう理由でこんなふうに病院に運べなかったのか」を尋ねますと、「私達も困っているんです」と言うんですね。「当直できる小児科医が確保できない」、「小児科医が足りない」、「小児科をかかえると病院は赤字になる」、「子どもは選挙権がないから立場が弱い」と。子どもが弱いのは選挙権がないからではなく、子どもはもともと弱いんです。親や多くの大人、制度が守って、その保護のもとでしか生きていけないのが子どもなんです。行政からの言葉にも突き放されてしまいました。

―いのちを感じる視点で―

 そして孤独というのは、誰もいないところで、一人いるときに感じるわけではないんです。たくさん人がいる中で、自分だけが取り残されている気持ちになったとき、孤独、という言葉が初めて意味するんですよね。私は大阪市に住んでいましたから、とても人口の多いところです。家族もいて、その中で孤独に落ちていきました。
 大人というのは、弱いもの、小さいものに目をやる。そして、何か心を奪われるというのが、人間本来の心の働きではないんだろうかと、すごく思ったんです。子どもって弱いですけれど、今、子どもを大事にしないと、少子のこの国はダメになってしまいます。国民の心がもっと揃って、いのちを感じる、そういう視点が何とか育たないかと考えて、これまでどちらかというと私は、運動より教育に取り組んで来ました。あと、遺族の心の回復に取り組みました、孤独に落ちて弱った人たちの暮らしを、どう再構築するか。

―坂下さんへの「70点」にこめられた意味―

坂下:  そういうことばかりやってきたため、私はあまり難しい制度的な話を理路整然と話すことができないんですが、お手元の資料に、これまで取り組んできたことについてある程度まとめましたので、またご覧になって下さい。今日は、ちょっと身近な、最近のことを話そうと思って来ました。
 昨日私は、大阪市にある、私立ではない大学の医学部4年生の講義を90分間担当してきました。病気や治療のことは先生から学びますが、「患者」という人物や、病気の背景について知らせることができるのは患者会ではないかと思うのですね。
 私が運営する会は、患者が存在しないちょっと変わった患者会ですから、私が語るのは情緒的な話が多いんです。授業終了後、学生に、私の方を評価して欲しいとお願いしました。私の話は拙かったけれども、このように患者会から講師を出して授業を行うことの有益性について、ゼロから100までの数字を、感想に加えて出してほしいと。
 そうしましたら、ほとんどの学生がとても甘い点数を付けてくれました。100点に近い点数で、「とても大切だと思う」、「教科書にはない勉強ができた」など評価してくれました。

―遺族会が医学教育に関わる意義―

坂下:  その中で、一番低い点数を付けた方が、70点だったんですね。みんなが高い点数の中で、70点付けた方が何を書いているかをドキドキしながら見ました。
 一人が書いていたのは、「坂下さんは死別体験を語ったわりには、淡々と話しすぎではないか、不自然だと感じた」とあります。私はもう1回思い返しました。自分は無意識のうちに、感情を抑えたんだろうか。なぜなら、私の娘を軽症だと判断して治療してくれなかった医師というのは、当時、その大学の病院に勤務する人だったからです。すごく考えたのですけれども、でも違うと思いました。
 今、もう私の感情は、そこにはありません。私は子どもの医療を間において、多くの子どもたちのために、そしてその現場で働く人たちのためにという共通目的をもち、その軸はもうぶれないと考えます。ですから、おそらく淡々と話したのでしたら、この8年間に私が自分を随分冷静に見れるようになったということと、この8年間に、私を優しく受け止めてくれる、気持ちに寄り添ってくれる、そういう方々とたくさん出会って来れたからだと思います。だから、ちょっと違うなと思いました。
 もう一人70点を付けた方の意見はこうでした。「今日の事例は成功例が多すぎるんじゃないか、もっと不満や傷付いたことを知らせてほしいし、言うべきだ」。これにはハッとしました。そういう意味では50点を付けられても仕方ない。私は医学部の学生たちに、何とか小児科に進んでほしい思いから、できる限り魅力を話そうとする、その意図が見抜かれてしまい、鋭く衝かれたのです。
 患者の本音が聞きたい、病院の改善点を知りたい、そう考える医療者が育ってくれているのを感じます。

―遺族会の声は宝庫?!―

坂下:  患者会が医学部の教育に関わっていく意義は大きいと思うのです。私は医療行政にもそこを求めています。期待しています。患者会の多くは、勝村さんのように、理論が本当にしっかりしていますし、説得力があります。良識もあります。
 患者会は、体験者の声を集約した形でもつ体験的知識の宝庫なわけですね。知識だけでなく「チエ」も蓄積しています。そしてどの患者会の運営者も、これからの患者さんや国民のためにという共通目的で動いています。まずは意見交換の場をもっと持って頂いて、患者会の組織力を活用していっていただきたい。そのことを医療改革に最も願います。以上です。ありがとうございました。

会場:  (拍手)

小宮:  ありがとうございました。坂下さんの本を読ませて頂きました。お子さんはすごく元気なお子さんで、元気だったためにお医者さんにあまりかかっていなくて、それでかかりつけのお医者さんもいなくて、いろいろな事が上手くいかなかったと書かれてあったと思います。
 そういう意味ではこれから地域の医者が、かかりつけの医者として機能することの重要性もご指摘されていると思います。
 医療改革の中で、お年寄りに限らず、子どもについても、小児科の充実についても、そういうことが行われていくのが、これから、みんなで育てていかねばならないことかと思います。
 次は花井さんです。大阪HIV訴訟の原告団長で、全国薬害被害者団体連絡協議会の代表世話人をされています。

花井:  「薬被連」と略して頂いて・・・。

小宮:  業界用語になってしまいますね。難しい名前の団体の代表世話人をされています。もともと血友病でいらっしゃって、非加熱製剤を使わなければならなくて、HIVになったのですけれども、そのお立場からのお話を伺いたいと思います。
 よろしくお願い致します。

―全国薬害被害者団体連絡協議会代表世話人の花井十伍さん―
※花井さんの資料:「本当の医療改革にむけて」
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↑資料2ページ
肩書から想像したイメージとのギャップが参加者をおどろかせた花井十伍さん(全国薬害被害者団体連絡協議会代表世話人)

花井:  今、紹介がありましたけれども、僕は、生まれついての患者です。いろんなことがあったんですけれども、またいろんな理屈もあるんですけれども、今日はそれらから学んだ一端をご紹介できたらと思います。
 「薬害エイズ」と一般的に、血友病患者の血液製剤によるHIV感染は言われています。その実質は、血液のエイズです。1980年代の初頭に、当時全く未知の病原体であったHIVというウイルスがアメリカの買血プール血しょうとともに日本にやってきました。その血しょうプールからHIV感染する血液製剤を使っていたのは5000人の血友病患者集団でした。私もその1人でした。

―血液製剤によるHIV感染―
資料3ページ
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花井:  スライドお願いします。これが血しょうです。いわゆるFFPというのと全く同じものです。血液型別に色分けされています。。

資料4ページ
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 次お願いします。あたかも普通の薬のような姿をした血液製剤。これは現在の、安全な日本赤十字社の血液製剤です。先ほどの血しょうも、現在の献血由来血しょうです。
資料5ページ
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 次お願いします。これは当時の売血由来の血液製剤となります。これは残存しているもので、PCRをかけると中からHIVウイルスが検出される筈です。私たちが使って感染したのがこちらです。

資料6ページ
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 次お願いします。どういう結果をもたらしたかというと、数字にしてしまうと数字になってしまうのですが、カルテベースで追いかけた被害者数です。本当はもう少し多いと言われています。
 感染者は1408人で、569人はHIVあるいは、C型肝炎、もともとの血友病等で亡くなっています。私はこの839人の中の1人。数字にしちゃうとそういうことなんです。
資料7ページ
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 次お願いします。若い世代が死んでいった。10年前の和解のときに、龍平くんという若い患者がメディアでアピールしていました。「僕より小さい子どもが死んでいっている」というコピーでした。この当時、若い世代が次々と亡くなっていったのです。

資料8ページ
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 次お願いします。これが動向調査委員会発表の感染者推移です。2004年に年間報告が1000人を超えたと大騒ぎしましたけど。実はこのサーベイランスのはるか以前、1984年くらいに1500人集団がいたということです。僕らのエイズの特殊性というのは、未知の感染症のホットスポット集団だったということで、ひとつの客観的薬害エイズの姿であります。

―覚えていますか?日本で初めてのエイズ報道―

資料9ページ
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花井:  次お願いします。これは初めて日本で報道されたエイズの報道です。
 次お願いします。○が付いていますが、僕はこの記事をよく覚えています。学生時代に下宿で見たんです。
 ベタ記事なのですけれども、「患者のほとんどは同性愛の若い男性。しかしその後重度の麻薬常習者や血友病患者などに広がり始めている。」との記載があります。たった5000人の、自分の稀な病名が新聞に載ったので、多くの患者がこれを覚えていました。

資料10ページ
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 次お願いします。エイズというのは、今思えばウイルス感染症で、コントロール可能な慢性疾患ですが。当時、1980年代後半、こういう事件が起きまして。エイズにカギ括弧が付いて、余分な記号性を持ってしまった。一面で非常に差別的。また一方で「おまえエイズちゃうか?」などとギャグにされたりする、国内で決定的に差別・偏見の対象となっていったのはこの時期であります。
 しかし、大騒ぎの傍らで僕ら1500人は日本にまぎれもなくいた。それが通常の病だけではなくて、そういう差別をされる恐怖、もうこの時期からは恐怖ですが、そういうものがありました。

―エイズだとバラしたのは、病院だった!!!―

資料11ページ
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花井:  次お願いします。今のような状況があって、エイズ予防法案、これもいろいろあるのですが、とりあえず国中が盛り上がりました。その盛り上がり方は、皆さんは忘れてしまっているかもしれませんが、全く未知の脅威に相対したときの先生、専門家、政治家、社会的地位の高い人たちのうろたえぶりとその発言は驚きでした。
 今日は、その例はあまり持ってきていませんけれども、恐ろしいことです。患者を管理する法律を作れとか、罰則を作れとか大騒ぎをするのですが。言い方からして、この人は知識人たり得る人なのか、というようなことがたくさん、当たり前のように「そうだ、そうだ」となったわけです。

 結局、何が起きたか。エイズって見ただけではわかりません、看板あげてないわけですから。そこで、どこでバレるかというと、病院なんです。病院以外で分かりっこないんのですが、病院の中で差別が始まった。アルコール綿で診察券を拭かれたりとかそういうこともありました。

資料12ページ
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 次お願いします。病院で死ねるのか、と追いつめられた。命もない、お金もない、病院もない、何もない。失うものは何もない。
資料13ページ
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 次お願いします。ちょうど10年前、菅直人がもっとかっこいい姿だと私は思っているんですけれども、今がかっこ悪いってわけじゃないですけれど。みんな泣いている。SPが泣いているのが初めてじゃないか、普通はSP泣かないですよ。
資料14ページ
↑資料14ページ
 次お願いします。奇跡が起こりました。医療が進みました、アメリカで新しい薬ができた96年。和解以降にも死亡者が加えられたのです。
資料15ページ
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 次お願いします。当時の告知の問題ですね。遺族の方の64%が告知が問題だったと言っているグラフです。

―おびえる子どもと医師の戸惑い―

資料16ページ
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花井:  次お願いします。ナラティブをちょっと紹介します。ナラティブ、語りですね。当時の遺族の方ですが、もう先生がマスクしてエプロン付けて入ってくるだけで、子どもはすごく不安がるんです。「大事な体にバイ菌入ってこんように、外のそれをさけるためにやっているんやで」というふうにずっと言い聞かせてましたね。直接それやということは、その時点ではなかなか言ってもらえなかったですね。それはお医者さんに教えてほしかったなぁと、恨んだときもありました。これは遺族の言葉です。

 いわゆる、過剰な防御をして医師が、患者に対しているわけです。私も新聞紙を敷かれたりもしました。医療者がビビッてしまって。すごいオペスタイルでやって来るのですよ、病室に。お母さんも必死になって「これは、あなたのためにやっているのよ」って言ってましたね。しかも、告知自体もされてない。だけど、医者はどうしようもなかったのかというと。

資料17ページ
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 次お願いします。ポイントは、医師のナラティブです。うちが調査したものですけれど。患者さんに説明するときにきちんとできないというか、ためらうこともあって、と言っていますね。今までの抗体陽性の概念と違っていたわけですからね。いわゆるレトロウイルスが中和状態にならない、という今では当たり前のHIV やATLのように、持続感染することが分からなかったといったようなことを言っております。抗体陽性は中和抗体かもしれないし。しかも、よくも分からないということでためらいましたと。
 このお医者さんは、客観的に見れば、血友病専門医の中では最も良質な方ではあるんだけれど、それにしても、いろいろあるのですね。知りたくない権利もあるから、伝えるべきじゃないかもしれない。しかし、二次感染が心配。この医師の迷いですね。

 実は当時、薬害エイズの一般的な報道は、医師は人殺しだと。危険のある製剤を使いまくったと。安部さんがその象徴として語られ、患者を金儲けの道具にしたんだ、みたいなことが、広河隆一の本とか櫻井よしこの本を読むと、そうともとれるんですが。実態はそういう側面もありつつ、人間としての臨床医の未知のものに対するうろたえぶり。患者の悲しみと恐怖。これが、相互にコミュニケーション不全のまま悲劇を拡大した、という側面があるというのが僕が学んだことです。

―エイズの医療が何もなかった―

資料18ページ
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 次お願いします。和解以降はエイズの医療が何もなかったから、国に医療をお願いします、といろいろやっていった。
資料19ページ
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 次お願いします。その過程で、薬を導入して、僕が今生きている理由ですけれども、医療をちゃんと患者のためになるものを作ろうとすると、何1つ作れない。病院の定員の中でカウンセラーが事務職員でしかなかったり、ソーシャルワーカーが医事課に1人いて病院全体の相談に対応しますとか。
 全部特別な税金を投入し、もしくは研究班の中からレジデントとして配置したりしなければ、保険医療でカバーできる範囲に必要なものが何一つない。そうすると、命を救う医療を作ると、特別な税金なり研究班なりを次々入れてはいろんなスキームを作ってはやると。未だにこれは行政の方から嫌がられています。

 患者が増えて医療の質が下がるから増やしてくれというわけですけれども、制度上はかなり困難です。医療財源の配分がなっていないというか、この10年間医療を作る中で痛感しました。これは行政を守るわけではありませんが、当時関わった行政官も痛感しながら、一緒にいろんな仕組みを作って、何とかエイズの医療を作ってきた。

―医師からの独立戦争だ!目指すは対等な友人関係―

花井:  時間がないので、以上で私の話は終わります。最後に締めとしましては、一人の人間として医師があり、一人の人間として患者があるという当たり前のことが実現するのが、臨床の現場であって、それを作り上げる制度がない、ということを、僕らは考えたわけです。
 もう一つは、僕らには亡くなった、教えを受けたたくさんの患者がいるわけですが、一人が、「これは我々の医師からの独立戦争なんだ」と言ったわけです。独立戦争は戦争なので戦争をしたわけです。しかし、独立して戦争して、僕らはまだHIVの薬を飲んで、C型肝炎の治療も受けている。
 完全に独立して医師が関係ないわけではないのですね。独立したうえで、次が対等な友人関係になること。これが今からやらんとしていることかなぁと思っております。 ありがとうございます。

会場:  (拍手)

小宮:  どうもありがとうございました。残り時間が少なくなってしまいました。
 今、主にユーザーの、医療のいろいろな形の被害にあわれた方からのご発言が続きましたけれども、今度の松島さんは長野県泰阜村村長さんでいらっしゃいます。長野県は先ほどの辻さんの資料にもありましたけれども、全国で一番医療費が低いわけですけれども、その長野県のなかでも、一番医療費が低い。今日のタイトルが「ほんとうの医療改革とは?」という医療改革の話なんですけれども、医療費の一番低い泰阜村の松島さんにお話頂きます。
 よろしくお願い致します。

―長野県泰阜村村長の松島貞治さん―
少ない医療費・長い寿命、医療改革優等生が直面した新たな課題について語る松島貞治さん(長野県泰阜村村長)

松島:  長野県泰阜村の村長の松島貞治でございます。長野県の人口2400人の過疎の山村でございます。医療・福祉と関係ございませんが、長野県の田中康夫知事が、住民票を移したのは私の村でございます。

―在宅福祉に力を入れたら医療費が下がった!!!!!!!―

松島:  昭和60年、1985年位になるでしょうか。泰阜村の高齢化率が20%を超えた頃に、医療費がものすごく上がりました。そのとき、一人の青年医師が泰阜村の診療所に着任しました。高齢化の現実の中で、「医療ではなく福祉だ」と村の方針を転換しました。そして、在宅医療、在宅福祉に転換したら、医療費が下がってしまったんです。どうしたらいいか分からないくらい、下がってしまいました。国民健康保険税をこれ以上下げていいのかというくらいまで下がってしまったんです。

 なぜ、下がったのか分からずに、私も診療所職員でございましたので、調べたんです。結論は、小さな保健所なので、実は癌の患者が出たら大変、透析患者が出たら大変などと言っていましたが、そうではなくて終末期医療にあった。それ以前は在宅死が3割程度であったのすが、在宅福祉を始めて、平成3年、4年は、在宅死が8割までいったんです。それとともに医療費が下がったんです。

―医療費を高騰させる、病院での終末期医療―

松島:  結局、医療費の高い原因は終末期医療にあった。特に高齢者の終末期の病院医療にあったというのが、私どもの結論でございます。
 したがって、ここを解決すれば医療費が下がると。長野県の低い中で、私ども、平成16年度までは一番低かったのです。泰阜村のように全国がやってくれれば、何兆円も、3兆円も4兆円も医療費が下がります。その結論は終末期医療というものでした。

 現千葉県の堂本知事が参議院時代に、当時の国民生活福祉委員会と思いますが、参議院の委員会で質問してくれいるのです。泰阜村のことを事例に挙げて。当時の津島厚生大臣でしたが、津島厚生大臣は「よく分かる」と答弁した。私も国会の委員会の議事録を読ませて頂きましたが、そういうことでした。

―こどもが親を入院させるようになって……―

 ところが、平成17年度に、うちの老人医療費が上がりだしたのです。長野県の平均より少し低いですが。
 なぜ上がったか。入院が増えたんです。
 倒れた親の子どもに相談すると、みんな病院に連れて行けと言うのです。これで、もし本当にそうしたら、日本の医療は大変なことになると思っています。
 私は、昭和50年代から、泰阜村の高齢化率37%ですが、そこで高齢者の医療を中心にずっと福祉を見てきまして、結論は、泰阜村は平成14、15、16年をピークに高齢化、65歳以上の人口が減り始めました。17年から減り始めて、18年も減ります。都会は、皆さんのところはこれからが大変です。
 もし、このまま、ここで高齢者医療をもし、病院医療を中心とした医療をやったら、どうなるか。私はニッチモサッチもいかなくなると思っています。

―あなたは人生の終末を自分はどう迎える?―

松島:  私の今の結論は、端的に言わせて頂くと、語弊があるかもしれませんが、ここにいる方は正しく聞いてくれると思いますが、高齢者が倒れて自分で食べられなくなったら、死を迎えていいと思っています。今度の介護保険は人間の尊厳を守るを掲げています。ただ、時間だけ長く生きればいいのかどうか、もう1回よく考える必要があるのではないでしょうか? どういう形で自分の人生の終末を迎えるか。
 先週の金曜日に役場の近くのおばあさんが亡くなったんですが、家に帰っていけなかった。「どうして病院から家に帰さなかったのか」と怒ったら、胃ろうで、ヘルパーが胃ろうのケアはしてはいけないからと。そのおばあさんは私もよく知っているのですが、その人に本当に胃ろうが必要だったのかどうか。
人間が自分の最期、人生の終末をどう迎えるか、ここのところを議論しなければ、老人医療の伸びを抑えられないというのは、私の村の実践から思っているところです。

会場:  (拍手)

小宮:  ありがとうございました。前回の介護保険の改定で、口から食べる支援をした場合、報酬が付くようになって、チューブではなく、ちゃんと自分の口から食べられることに支援が付くようになったことは非常に良い事だと思います。食べる障害が出てきた場合にも、自立して生きる道が開かれつつあるので、そちらのほうにももっとお金がかかっていくのだったらいいなぁと思ってお聞きしておりました。

 いろいろな議論がありましたけど、1周いたしました。松島さんの話では、泰阜村で在宅介護を充実させたら、医療費も下がった、ただ、このまま病院にみんなが入り続けたら、どうしようもないとおっしゃいました。
 それでまさに、今回の療養病床改革、病院で死ぬのはもう止めて、生活の場に必要な医療だけが来てもらって、最後はできるだけ自立して暮らしながら死ねるようにならないかというのが今回の改革なんだと思います。
 辻さん、どうでしょうか。松島さんのお話もそうでしょうけれども、いろいろな医療事故ですとかで、子どもさんを亡くされたり、被害にあわれた方のお話をお聞きになって、今回やろうとしている改革の全体の流れの中に、それぞれがいろいろなリンクを持っていると思うのですけれども、お聞きになったご感想を頂ければ。

―困った経験をもった方と行政が、平素から知り合うこと、そこから信頼感が―

辻 :  一つ一つのことを、自分に何ができるかを考えながらうかがっておりました。私は、国の行政ということで、靴の外から掻くような仕事をしているわけですが、方向というものをきちんとしなければならないと考えて、この会にも毎回出席させて頂いています。本当に困った方の話を行政は聞かなくてはならないと、つねづね肝に銘じております。
 正直言いますけれども、突き上げられるのが怖いんですね、行政。ぐわーんと突き上げられたとき、変なことを言えば責任になる。それで逃げ出すのですね。時には、必要以上に保守的になって恨まれたりもします。そういったことが今までにあったのではないでしょうか。
 私は困った経験を持った方と行政が、強い緊張を持ちつつも、お互いに前に向かえるような関係を作っていくことが、特に医療の世界では非常に大切だと思っています。
 お医者さんについても、最近つらつら考え、深めていっている私の確信があります。平素から知り合っていないと信頼関係なんてできないんじゃないでしょうか。平素から自分や自分の家族や自分の生活や、私から見れば、お医者さんの生活や家族を理解し合うような関係、本来的な、かかりつけ医機能を考えないと、急性期の病院も息が切れてしまうのではないか、と感じております。そして、勝村さんが言われたように、急性期の病院にもっと社会資源の投入することが必要があると思います。
 今回の医療計画はそうした方向に向かっていますけれども、一方において地域の、平素の関係を作る、かかりつけ医をどのように形成できるか、していくか、ここが基本構造でないといけません。

―向き合える関係、共に前に進める関係を―

辻 :  向き合える関係、共に前に進める関係。行政がイの一番にそうしなければならないとも考えております。こういうものが今、日本の医療で本当にしっかりやらなくてはならない、と感じております。私どももそのように努力したいと思います。
 もう一つは、在宅医療の件ですが、どうしても入院したい、本人が入院したい方までも在宅で、という考えではありません。しかし、多くの方が在宅を望んでいます。
 実は、「そうは思うが無理だ」という声が結構多いです。1つは、家族に迷惑を掛けるから。もう1つは、不安だから。この2つの理由です。居住系のシステムができて、しかもトータルのチーム的なケアが入って、お医者さんが不安なときに応えてくれれば、皆、解消できるはずです。
 私はできると思うのです。現にできているところもあります。そうした意味での在宅医療は、私を含めて皆が望んでいることではなかと。

―「生きる質」、「生ききる」―
シンポジウムはなごやかに終了

辻 :  そういう積み重ねをしていくことによって、私もこの年になったら、死のことも、身近な肉親を通して見てまいりましたし、あえていうと「生ききる」、私が最近聞いた好きな言葉ですが、「生きる質」、「生ききる」ということを考えるということをしなければならない。
 行政があまり価値観めいたことを言ってはいけないのかもしれませんけれども、これからの非常に大きなテーマだと思います。一定の環境を作ることを通して、そのような国民の皆様の生き方を図っていきたいと思います。

小宮:  どうもありがとうございました。本来の予定では、この後みんなで討論する予定でしたが、時間になってしましましたので、これからお一言ずつ、他の参加者からのご発言を頂ければと思います。
 松島さん、16時半に出ないと、ということでしたが、もし大丈夫でしたら、いてて頂きたいのですけれども。
 勝村さん、お願い致します。

―患者、国民が入った改革へ―

勝村:  今、随分医療改革が進んできていると思うので、情報公開などによって、議論の前提になるものが出てきて、現状が分かってきました。
 産科医が不足して、小児科医が不足して、救急医療に問題がある、と問題になってきていますが、実はこれは20年も30年も前から不足していたんです。その頃から事故が起こっていたんです。そのことがようやく表に出てきているということなんだと思うのです。
 この15年間が医療事故や医療裁判が増えてきたから、産科医や小児科医のなり手が少なくなっているというのは僕は違うと思います。産科・小児科・救急の医療体制がお粗末だったという昔からの問題が、ようやく明らかになってきた。
 いよいよここから国民も患者も加わった本当の改革になっていくように思うわけです。
 辻さんがおっしゃる、夜中に電話しても開業医が診てくれる、というのが本当のかかりつけ医だという話と同じように、救急という体制、特に産科や小児科の大きなニーズはほとんど救急時であるにもかかわらず、老人を薬漬け、検査漬けにしてしまう、必要のない薬を出産の時に使ってしまう、救急に関心がない、救急をするつもりがない人たちが中心になって今までの医療を作ってきたのではないか。中医協の議論にもそういう傾向があったのではないだろうか。
 これからはそうではなく、救急をちゃんとやらなければならないという人たちの声が入ってくることによって、救急のほうに価値をシフトして行くこと。それと同時にもう1つのシフトは、「薬漬け検査漬けよりも介護や看護」、お産でも「陣痛促進剤よりも24時間体制の人手の方に」、というような形に変わっていってほしい。医療というのは人と人とをつなぐものなので、そういう流れにシフトしていけばいいなぁと思っています。どうもありがとうございました。

小宮:  どうもありがとうございました。
 次に、坂下さん、お願いします。

―思いを馳せて、広い視野で。失う前にその大切さを知らなければ―

坂下:  慢性疾患と違い、「救急」って、利用して初めてありがたみを知るものです。健康な市民が関心を向けることが少ない。それと同じように、子どもがいない人は子どもに関心がないとか、若いうちは高齢者に関心がないとか、本当に身近に迫っていることにしか関心が持てないことが、困ったものだと思うのですね。思いを馳せるということがなかなか難しい。
 小学校で講演をさせてもらったとき、5年生の子がこんなことを感想文に書いてくれました。「失ってから知るというは、とてもいけない。大切なものは、失う前にその大切さを知らなければならない」と。小学校5年生の子が気が付いてくれたのですね。
 私も、自分の領域以外の方の立場に、思いを馳せて、広い視野を持って考えていきたいと思います。ありがとうございます。

小宮:花井さん、お願いします。

―人間が人間らしく普通に生きて死ねること―

花井:  もう語り尽くされたと思いますけど、人間が人間らしく普通に生きて死ねることをみんなが強く願って回を重ねればきっとうまくいく。
 いろいろな障害があると思いますけれども、ぜひ頑張ってやっていきたいと思いますし、皆さんも一緒にやっていきたいと思います。

小宮:  次に、松島さん、お願いします。

―必要なところに十分な財源を―

松島:  私は、行政の人間なので、財源が限られていることを深刻に考えています。惣万さんの話ではないけど、高福祉高負担なら可能ですが、高福祉低負担をうちの住民は望んでおる。それは無理だと、私は言っているんですね。
 そうなると、限られた財源をどう使うかとなりますが、高齢者福祉を中心にやってきた、高齢化率の高い山村でやってきた人間として、本当に生きた時間をどう充実して生きるか、ということに主眼を置くべきで、亡くなるときは、一生懸命生きたから、静かに短い時間でさーっといっていいのではないか、人間は。特に高齢者の場合。
 従って、先ほど救急小児のような話を聞きますと、私も孫ができて孫の顔なんか見ていまして、だけど、こういう子どもたちが守られるようなところにお金をかけてほしいと。もう1回、私の村からも発信したいと思っています。

―国民が参加できる医療改革へ―

小宮:  ありがとうございました。いろいろな意見があると思います。
 経済界からの非常に強い要請で医療費を押さえなければならないという中で医療改革もやっていて、いろいろな不自由もあるのだと思います。消費税の議論もこれから始まってまいりますし、私たちも本当に自分たちはどれだけ負担するのか、そういうこともこれから考えに入れて、低負担・高福祉ではなくて、どこまで医療や介護にお金をかけていくのかをもっと考えていかなければいけないと常々考えております。
 「ほんとうの医療改革って何?」というふうに頂戴したお題でしたけれども、みなさまのお話すべて伺っていますと、それは「患者本位の医療をこれから作っていってほしい」という、皆さんの声はみんなそうだったと思います。
 こういうふうに言ってしまえば、医師の方々には失礼になりますが、やりたい時にやりたいことをやる医療ではなくて、患者の方が求めて、必要としているときに必要なことをきっちりやってもらえる体制づくり。それにお金もかかると思うんですけれども、これから考えていかなければといけないこと。
 これは行政だけで考えるのではなく、医療提供者だけで考えるのではなくて、国民一人一人が議論の中に参加して、参加できて、自分の問題として、みんなで考えていける仕組みをこれから作っていければというふうに思ってお聞きしました。時間が7分オーバーしてしまいました、すみませんでした。今日は最後までお聞きして頂きまして、どうもありがとうございました。

会場:  (拍手)

山田:  コーディネーターの小宮様、シンポジストの皆様、本当にありがとうございました。もう1度、大きな拍手をお願い致します。

―また新たなえにしへ―

山田:  さて、今年のえにしを結ぶ会も終わりに近付いてまいりました。自立と尊厳、一人の人間としての患者、医師、そして行政の方。当事者に分からないことがたくさんある。そして、「生ききること」と「死にがいのある日本」、濃縮シンポジウムのTとUがぴったりと重なってきました。このえにしを新たにして、次につながっていく力にしていきたいと思います。
 閉会に入ってまいりますが、1つアナウンスがございます。ブルーのプログラムの間に「土曜も開いているお店マップ」が挟んであります。この後、きょう出会ったみなさまで「えにし」を結んだり、結びなおしたり、ご歓談の中でつなげて頂ければと願ってのマップでございます。思ってご案内が入っております。
 それでは、閉会に入りたいと思います。最後は、ネクストが皆様をお送りする演奏を聞かせて下さるそうです。それでは、その前に、ゆき様、一言いかがでございましょうか。よろしくお願い致します。

会場:  (拍手)

―同じ志をもったえにしの仲間たち―

ゆき:  皆さま、雨の中、ことしも、お集まりくださいましてありがとうございます。
 福祉と医療・現場と政策の新たな「えにし」を結ぶための、年に1度の集いの特徴は、聴き手の側に素晴らしい実践をしておられる方がお集まりくださることです。きょうここにおられる300人の方々だけで、30も40もシンポジウムできる、そんな人材ばかりです。
 「濃縮どころか、超濃縮」と演者からは恨まれてしまったのですが、これにはわけがございます。120分の講演で人を惹きつけることができる方に、プレゼンテーション12分とお願いするのは、もったいないことではあるのですが、福祉と医療・現場と政策づくり全体の「見取り図」を皆様の心の中に描いていただきたかったのです。ジャーナリズムの世界でも、医療ジャーナリスト、福祉ジャーナリスト、官庁担当、政治、経済担当記者と分かれています。研究者もそんな風に縦割りになっていますが、それでは物事は解決できないことがTとUのシンポジウムで感じて頂けたら嬉しゅうございます。

 飛行機の都合で、お帰りになった新潟県立看護大学学長の中島紀恵子先生が、「厚生労働省の人がずいぶん大勢、来ているけど、本当に自発的に来ているの?」と疑わしそうに尋ねられました。私、決して強制した覚えはなく(笑い)、現場の生の声に接したいという想いで、厚労省、国交省、文科省や自治体行政のみなさまが、休日返上で参加なさったのが、ほんとうのことです。そのことをと申し上げたら、中島先生、「役所も変わったわねえ」とびっくりなさってお帰りになりました。

 世の中、対決するのがとても好きな方もいますけれども、今日お集まりになっている方の向いている方向や志は一致していると思います。胸につけていらっしゃる名札には、縁(えにし)、絆、編む、紡ぐ、という文字が上下の飾りついています。記念にお持ち帰りになって、同じ志に向かってお互いに縁を結んでいただけたらなぁと願っています。

 青い冊子の最終ページ(※ワードファイル)に今日、黒子のようにさりげなく動いてくださっているCLC、全国コミュニティーライフサポートセンターの事務局のボランティアのスタッフマニュアルの一部を載せさせていただきました。きょうの集いがつつがなく運んだ背景にはこの方々のワザとシステムがありました。医療や福祉制度も、これと似ているようにおもいます。舞台の上で活躍するナースや医師やケアスタッフを支える人とシステムが充実してこそ、利用者本位という結果がもたらされるものなのではないでしょうか? CLCの皆さん、ありがとうございました。
 手話や要約筆記、磁気ループでコミュニケーション保障をしてくださった方々もありがとうございました。
 最後になりましたが、『死ぬときは苦しくない−日本人の死生観』をプレゼントしてくださった、永井友二郎先生(下の写真の左端)にも感謝致します。この本は、先生が"遺言の書"として自費出版されたものですが、評判が高いので、近々、講談社から出版されるとうかがっております。

 そして、素晴らしい演奏を聞かせて頂いた「ネクスト」のみなさま、ありがとうございました。実は、連載記事「和製ヨン様、3つの奇跡」の写真をとるという口実で練習風景を聴きにうかがいました。そして、これは素晴らしい、皆様に聞いて頂きたいと思いまして、口説き落として、今日は来て頂きました。予定にはなかったのですが、急遽、みなさまをお見送りする演奏をプレゼントして下さるそうで、本当にありがとうございます。

 少々お待ちください。番外のハプニングです。青い冊子には「入院中」と書いてある、べてるの家の販売部長のキヨシどん、早坂潔さんが、退院していらっしゃいました。ひとこと喋りたいというお申し出ですので、結びの言葉をお願いします。

―飛び入りのキヨシどん「病気とともに苦労して、商売、金儲け」―
会の締め括りは、精神病棟から退院してきたばかりの、自称「精神バラバラ病」、べてるの家の販売部長、キヨシどん
左端は著書『死ぬときは苦しくない』をプレゼントしてくださった医学会の長老、永井友二郎さん

早坂:  皆様、こんにちは。北海道浦河町から来ました、精神バラバラ状態の早坂です。今年4月からMCメディアンという会社ができました。そこのロビーでも売っているんですけれども、向谷地生良さんが書いてくれた「べてるから吹く風」という本が出ました。僕たち病気のこととか、商売のこととか、いろいろなことが書いてあります。1人1冊でもいいですから、ぜひ買って下さい。
 「べてるの家の当事者研究」という本も医学書院からが出ました。喧嘩の仕方とか、僕たちが僕たち自身のことを研究した本です。
 今から20年位前に、商売をやろう、金儲けをしようと立ち上がりました。僕は最初に、昆布の下請けをやりました。そのころは、3分しかもたなかった僕ですけれども、今は1時間くらい頑張れます。病気の時は、本当に5分しかもちません。病気とともに苦労して、商売してます。病気が出ると、商売繁盛だと言われました。ありがとうございます。
 ぜひ1冊買って下さい。よろしくお願いします。

―えにしを結ぶ会2006年閉会―

山田:  ウルトラマンだって、地球上での活動時間は3分間ですものね。本当にありがとうございました。それでは、最後、ネクストの皆さんに演奏して頂きながら、今日のえにしの集いを結んでいきたいと思います。
 またこれからお会いすることを楽しみに。では、よろしくお願い致します。(拍手)

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