福祉と医療・現場と政策の新たな「えにし」を結ぶつどいより
(2006.5.13(土)東京・内幸町のプレスセンターで) ※文章中の資料の画像をクリックすると大きく表示されます。
―濃縮シンポジウムU「ほんとうの医療改革って?」―
山田:
濃縮シンポUのパネリストの皆様、どうかご登壇をお願い致します。「えにし結びたい・む」の前の「自立支援」に続いて、今度は医療を巡って、火花を散らしていきたいと思います。
会場:
(拍手)
山田:
みなさま、どうかお席にお着き下さいませ。お願い致します。皆様、資料をご紹介します。封筒の中に、厚生労働省審議官の辻哲夫様の「医療制度改革法案の目指すもの」と「小さないのち」の坂下裕子様の補足資料とが入っております。 会場: (拍手)
―コーディネーター、NHK解説委員の小宮英美さんが、ここにいるわけ―
小宮:
なぜ私がここにいるか、実は、私は大熊由紀子さんに頭が上がらないんです。最初にお会いしたのが、まだ私が学生のときで、就職活動で朝日新聞を訪ねました。その頃は均等法前で女性の職場ってあんまりなかったんです。大先輩のマスコミの方のところをお訪ねしました。でも、その後もう1回お世話になりました。
―ほんとうの医療改革にせまる―
小宮:
今、国会に医療制度改革関連法案が出てるじゃないですか。でも「ほんとうの医療改革」じゃない感じがしませんか。今日はこれが本当の医療改革になるのか、もし不足しているなら、もっとどういうところを改革していったらいいのか、していきたいのか、そんなところをざっくばらんに参加者の方々から話を頂けたらと思っております。
ただ、ディナーでいったら、今日は、ステーキあり、鮑あり、伊勢エビあり、フォアグラあり、みたいな感じで。どの方も一人で70分くらい講演されても不思議のない方で、とても盛りだくさん。コーディネーターをお引き受けしたとき非常に迷ったのですけれども。私の役割は、できるだけ話さないでできるだけ時間を確保することではないかと思いますので、早速、流れだけをご説明だけして、討論に入りたいと思います。
―まず、医療改革の最高指揮官 厚生労働審議官の辻哲夫さんから―
まず、厚生労働審議官の辻さんから今回の医療制度改革が何を目指して、何でそれをやりたいのか、この思いの部分を語って頂いて、その後、中医協の委員をされている、医療情報の公開・開示を求める市民の会の世話人の勝村さん。病児遺族わかちあいの会「小さないのち」代表の坂下さん。それから、全国薬害被害者団体連絡協議会代表世話人の花井十伍さん。長野県泰阜村村長の松島さん。この4人にだいたい7分ずつくらい問題提起をして頂いて、その後、残った時間を使って、「今度の改革でちゃんとしてくれるの」とか「もっとこうしてよ」みたいな話を全員でまたできればと思っています。
―「医療費より、医療の質の改革法案、というのがほんとうです」―
※辻さんの資料:「医療制度改革法案の目指すもの」
辻 :
ご紹介して頂きました、辻でございます。本当に貴重な機会ですので、私ども厚生労働省として提案している法案のねらいをお話させて頂きます。
―「生活習慣病時代」の到来が、改革お前提に―
辻 :
医療構造改革と私どもは言ってるんですが、構造改革たる以上、前提となる今の疾病の状況をどう見るのかが大切になります。WHOも言っていますけれど、「21世紀は生活習慣病の時代である」ということ。それ以外の病気はいいんだという意味ではありません。大きな流れとして、生活習慣病が大きなメインストリームになっています。
資料の1ページを開いて頂きたいんですけれども、太る、運動しない、ということで、肥満症、糖尿病、高血圧症といった生活習慣病になり、これが重症化する。脳にくれば、脳卒中、心臓にくれば心筋梗塞等、腎臓にくれば人工透析。そして急性期の医療を経て、長期の介護状態になっていく。生活の質は落ちていく、こうなっているわけですね。
―あなたはどこで死を迎えたいですか?―
辻 :
そして次のページご覧頂きまして、暗い話で恐縮ですが、年間で約100万人の方が現在の時点で亡くなっています。それが、あとたった30年で、年間170万人の方が亡くなる、という史上最大の死亡数を迎えることになります。病院死亡率が8割という中で、こういうことを迎える。いったいどんな国になるのでしょうか。皆様、いろいろと想像を巡らせて頂きたいと思います。
もう一つは、近年、医療に対する不安が生じていることではないでしょうか。私どもはあれこれ言いながらも、医療はちゃんとやってくれると思っていた感がございます。しかし、様々な訴訟が起こる。あるいは最近の産科、小児科医師の不足問題。我々は医療のあり方に、本音で心配する時代になっているのではないでしょうか。これに対しても応えていかなくちゃいけないということだと思います。
そういう状況で、どういうふうな方向に持っていったらいいのか。そのスキームを説明しますと、4ページでございます。
―医師と患者を結ぶ情報公開とは? かかりつけ医とは?―
辻 :
様々な訴訟が起こる、様々な問題が起こっている中で、究極の問題は、医師と患者との信頼関係に揺らぎが生じていることだと思います。医師と患者の信頼関係を確立するためにはどうしたらいいだろうか。まず、情報が開示されることだと私は思います。
もう1つ大切なことは、平素からの人間関係がベースにある医療でなければならないと思っています。かかりつけ医って、一体なんなんでしょう。
―「在宅」は、自宅だけではなと。ケアハウスやグループホームも「在宅」―
そのような中で、最後は、地域生活の中で医療を受けることが幸せだと思います。そのためには「在宅」というわけですけれども、私どもが言っている在宅は自宅だけではありません。生活の場です。例えば、これからはケアハウスとか、あるいはグループホームとか、それから、後で改めて申し上げますけれども、住宅政策との連携が必要です。高齢者に配慮された、障害者に配慮された住宅に対して様々なサービスが来るべきです。そのような流れをどうしたら作れるのか。これをやろうではないかというのが今回の医療改革でございます。
イメージを言いますと、6ページを開いて頂きたいのですが。例えば、脳卒中の例で言いますと、急性期の病院はどこか。そして、その病院から回復期のリハビリテーションは、どことどこにあって、どうつなげるようになっているのか。1回目の入院ならそれで自宅に帰れるかもしれません。2回目であれば、もうちょっと長期のリハが必要かもしれません。そして、在宅に帰る。そして、在宅に対しては、かかりつけ医がいるという姿をどう作るのか。
―在宅に出向き、在宅を支えるための医療改革―
辻 :
そして9ページをご覧頂きたいと思います。とても大事なことは、在宅に医療が及ぶことです。今、中村さんのお話にありましたけれども、本当に隔世の感があります。本当に介護サービスは大幅に積み増しされました。
―「広告規制の緩和」から一歩進んだ、医療機関に求める情報公開とは―
辻 :
そして、この5ページですね。今申しましたようなシステムを、県毎にきちんと、病院の機能分化、病院と病院とのつなぎ、そういったものを話し合って頂いて、それが全部公表される。
―「救急医療」と「かかりつけ医」、そして、療養病床の再編―
辻 :
もう1つの話です。小児医療のことが大変議論になっています。重点化、集約化と言っていますけれども、きちんとした手厚い医師の体制を作るという拠点を各県ごとに整備すべきだということを今、急いでおります。そういうことを今回の改正法ではちゃんと位置付けるように入れております。
―老人医療費の都道府県格差…そこからみえる現実は―
そのような状況の中で、特に医療費の適正化との関係では、療養病床の再編というのが大変、話題となっております。
10ページをご覧頂きたいと思います。日本の老人医療費は、長野県の60万円と北海道、福岡で90万円と、下から上まで1.5倍の差があります。長野県が医療費が低いから長野県の人は不幸せで、北海道、福岡県は医療費が多いから幸せなのでしょうか。医療費が多いのが必ずしも幸せかどうかということについては議論が必要かと思います。
―「医師がかかわっていない」という、療養病床の現状―
辻 :
次のページ。中医協で、3年間2億5千万円かけて、徹底調査した調査の結果なのですが、医療型療養病床も介護型療養病床も、医師の関与がほとんどないというのが半分くらいだと。1週間に1回というのも相当あるということが分かりました。
その次のページにありますように、基本的に最低限、老健施設への転換を致します。追い出しが始まるということではありません。最低限、老健施設に転換するということです。看板が変わるということです。
―介護保険改革に追いつけ追いこせ医療改革―
辻 :
しかしながら、その次をどうするのかということで13ページをご覧頂きたいと思います。私たちは、基本的には、これから十分議論して頂きたいと考えておりますけれども、行政側の、私たち厚生労働省側の思いとしては、介護保険で相当サービス整備が進んできたとおもっております。小規模で、地域に密着した居住系のサービスで高齢者を処遇していこうという大方針を中村さんが、介護保険改革で確立しました。当然それに対して医療が及ぶべきです。
―国土交通省と厚生労働省が重要ポストの交換人事したわけは……。―
大きなポイントは次のページにありますように、大体各国とも施設サービス系のシステムと住宅系のシステムと両方あるわけですけれども、日本は住宅系のシステムが非常に不足していることです。今回、国土交通省と、重要なポストで、課長の交換人事を行いまして、高齢者向け住宅に対して特定施設として、介護保険が適用される仕組みにして、これから高齢者向け住宅をきちんと整備して頂く。
そして、今の在宅系サービスに医療、介護がリンキングすれば、皆がよりよい生活ができると思います。そして、地域の中で生きることがいかに素敵ということは、惣万さんが言ったとおりです。私たちはそういうものを目指したいと思います。これを実現するのはなかなか大変ですが、私どもとしては県単位できちんと話し合っていくようにして頂きたいと考えています。そして、その話し合いについては、地域住民も参加すべきです。
―医療改革が進む中で、一番必要なものとは―
辻 :
この法案の目指す中身が、現実のものになるかどうか、これから皆様もこの法案をどう受け止めて、どう意見を言って、その目指すものをどう作っていくのか。 会場: (拍手)
―「厚生労働省、今回は本気だな」という改革になってきました―
小宮:
どうもありがとうございました。今の話にもありましたように、療養病床の改革の話が去年の12月の末、大綱の出た後に出てきたので、みんなびっくりしました。ほんとうにびっくりされた方が多いんではないかと思いますが。 会場: (拍手)
―中医協委員、医療情報の公開・開示を求める市民の会世話人、勝村久司さん―
―明かされる、衝撃の事実!日本の日別出生数―
勝村:
辻さんから、8割以上の人が医療機関で亡くなっているというお話がありましたが、産まれるときは99%が病院または診療所で生まれています。
―さらに今、白日のもとに!日本の時間別全出生数―
勝村:
次のスライドをお願いします。今度は時間別に見たグラフです。2004年は、1日あたり3080人ですから、年間で約111万人の赤ちゃんが生まれています。それを全部時間別にプロットしたグラフです。午後2時が夜間の2.5倍以上生まれています。
―グラフで明らかになる恐ろしい事実―
勝村:
次のスライドをお願いします。このグラフは助産所で生まれた赤ちゃんだけで、時間別のグラフをとってみたものです。今、助産所で産まれている赤ちゃんは、1〜1.5%で、実数が少ないので、厚労省が統計を取り始めてからの20年間に助産所で生まれたすべての赤ちゃんをプロットしています。
―ご存じですか?陣痛促進剤が使われる手口―
勝村:
次のスライドをお願いします。そういう無理なお産をしていく中で、被害が起こっています。それが一般に「陣痛促進剤被害」と言われているものです。
しかも、自分たちがどんな医療を受けているか、カルテもレセプトも見られない中で、「血管確保の目的で点滴をします」とか、「子宮口を柔らかくする薬です」とか言われて投与された薬が、実は無理矢理陣痛を起こさせる薬だった。それが、事故が起こった後で分かったことなんです。先ほどのお話で福祉改革が始まったという90年の12月に起きた事故でした。
―当事者にとっての陣痛促進剤被害の共通点―
勝村:
次のスライドをお願いします。陣痛促進剤の被害はいまだに非常に多くて、新聞でつい先日も1面で大きく、厚生労働省が添付文書を改訂したあとも、既に100人以上が死んだと報道されました。
―産科医にだけ配られた一冊の本に書かれていたこと―
勝村:
次のスライドをお願いします。3つ目に情報の非公開とあるのですが、被害者が被害を受けて集まっている中で、良心的な産科の医師がくれた冊子を見てみると、実は日本産婦人科医会、当時は日本母性保護医協会という産科医の団体が、30年以上前の1974年に全国のすべての産科医だけに1冊の冊子を配布していたことがわかりました。
その結果、それ以降多くの脳性麻痺の子どもが産まれてきて、だけど、その脳性麻痺は先天的だと思われてきた。74年にそれが出されているので、72、73年くらいには相当な事故があったのでしょう。それ以降ずっと一貫して同じようなことが繰り返されているのです。
私たち被害者がその冊子を92、93年に厚生省に持っていって、厚生省が慌てて能書を改訂しました。なぜなら、その冊子には「添付文書に書いてある使用量の半分以下しか使うな」とか、「この薬の怖いところは、感受性の個人差が200倍以上あることだから、筋肉注射で打っていいと添付文書に書いてあるけど、1分間に3滴という非常にゆっくりした点滴を始めないといけない」と書いてあったからです。
一方で、母子健康手帳とか母親教室ではそういうことは一言も語られてなくって、知らない間にみんな使われて被害にあっています。
―レセプト開示からはじまる、本当のインフォームド・コンセント―
勝村:
次のスライドをお願いします。僕としては、子どもは死んでしまったんだけれども、何とか同じような被害がこれを機になくなるということであれば、子どもの命にも意味が出ると思って活動を続けていますが、最初に見てもらったグラフが自然なグラフになる、ということにならない限り、感受性の個人差が200倍もあるような薬が乱用されている限り、ずっと被害は続くと思っています。
そのためにはどうしたらいいかということですが、インフォームド・コンセントとか、医者に倫理を求めるとかということよりも大事なことがあります。
―理不尽な医療単価の、しかも知らされずに放置―
勝村:
次のスライドをお願いします。レセプトの大事なのは、医療費の単価、単価は価値であるので、価値観を決めていることです。
―不本意な医療が起こるその理由―
勝村:
次のスライドをお願いします。これは大熊由紀子さんの作られたグラフです。ゆき.えにしネットのHPに載っているかと思います。
不本意な医療が起こりやすい単価のままで総額を増やしていくと、ますます不本意な医療の総量が増えてしまう。不本意な医療の極みが医療事故、医療被害だと思っているので、やはり単価を変えていかねばなりません。
―「ヒヤリハット」より、ほんとうの事故はら学ぶことが大切―
勝村:
次のスライドをお願いします。そのような中で、この15年の間に、全く見ることができなかったカルテやレセプトも開示されるようになってきました。昨年には厚労省の医療安全対策のワーキンググループなどにも、僕などが入れてもらえるような形になってきました。
―知ることから始まる、国民参加、患者参加―
勝村:
次のスライドをお願いします。これが最後です。中医協の改革です。中医協にも、僕なんかも入れてもらえるようになりましたし、開業医さんの代表だけだったものが、病院の代表も入るようになってきて、しかも、薬害エイズの反省を受け、厚生省の審議会がどんどん公開される中で、一番最後まで公開されなかった中医協も公開されて、市民によるパブリックコメントとか公聴会も初めて開かれるようになってきました。
3つ目なんですけれど、領収書の発行の義務付けは終わりましたが、医療費の請求の明細書、レセプト呼ばれるものが健康保険組合に送られるものと同じものが患者にも手渡されるということが、ようやく始めることができる体制までできましたが、まだきちんと始まっていない。
会場:
(拍手)
小宮:
どうもありがとうございました。医療としてもっとも適切だから進められているのかなぁと思っていたら、病院にとってもっとも経済性が高いということで進められていたのであってとても困ります。レセプト、明細書の公開を通じて、求めていこうというお話でした。
―病児遺族わかちあいの会「小さないのち」代表の坂下裕子さん―
坂下:
坂下です。よろしくお願いします。今お話頂いたとおり、私には可愛いとても元気な女の子がいたんですけれど、1歳の誕生日から間もなく、突然のように亡くなってしまいました。
―救急車に載って病院にたどりつくまでに4時間半!―
坂下:
死因はインフルエンザ脳症。当時、治療法がはっきりしないと言われました。でも、私はこの死がどうしても納得できませんでした。おそらく、患者が医療に求めるものは、満足以上に「納得」ではないかと思います。
―「孤独」という文字の語源とは―
坂下:
皆さん、「孤独」というのはどんな語源があるかご存じでしょうか。孤独の「孤」という字は、親を亡くした孤児の「孤」。「独」の方は、年老いて子どもがいない人を意味するということを、ずっと後で知りました。孤独に落ちて、分かってもらえる人はいないと思いました。
―いのちを感じる視点で―
そして孤独というのは、誰もいないところで、一人いるときに感じるわけではないんです。たくさん人がいる中で、自分だけが取り残されている気持ちになったとき、孤独、という言葉が初めて意味するんですよね。私は大阪市に住んでいましたから、とても人口の多いところです。家族もいて、その中で孤独に落ちていきました。
―坂下さんへの「70点」にこめられた意味―
坂下:
そういうことばかりやってきたため、私はあまり難しい制度的な話を理路整然と話すことができないんですが、お手元の資料に、これまで取り組んできたことについてある程度まとめましたので、またご覧になって下さい。今日は、ちょっと身近な、最近のことを話そうと思って来ました。
―遺族会が医学教育に関わる意義―
坂下:
その中で、一番低い点数を付けた方が、70点だったんですね。みんなが高い点数の中で、70点付けた方が何を書いているかをドキドキしながら見ました。
―遺族会の声は宝庫?!―
坂下:
患者会が医学部の教育に関わっていく意義は大きいと思うのです。私は医療行政にもそこを求めています。期待しています。患者会の多くは、勝村さんのように、理論が本当にしっかりしていますし、説得力があります。良識もあります。 会場: (拍手)
小宮:
ありがとうございました。坂下さんの本を読ませて頂きました。お子さんはすごく元気なお子さんで、元気だったためにお医者さんにあまりかかっていなくて、それでかかりつけのお医者さんもいなくて、いろいろな事が上手くいかなかったと書かれてあったと思います。
花井:
「薬被連」と略して頂いて・・・。
小宮:
業界用語になってしまいますね。難しい名前の団体の代表世話人をされています。もともと血友病でいらっしゃって、非加熱製剤を使わなければならなくて、HIVになったのですけれども、そのお立場からのお話を伺いたいと思います。
―全国薬害被害者団体連絡協議会代表世話人の花井十伍さん―
※花井さんの資料:「本当の医療改革にむけて」
花井:
今、紹介がありましたけれども、僕は、生まれついての患者です。いろんなことがあったんですけれども、またいろんな理屈もあるんですけれども、今日はそれらから学んだ一端をご紹介できたらと思います。
―血液製剤によるHIV感染―
花井:
スライドお願いします。これが血しょうです。いわゆるFFPというのと全く同じものです。血液型別に色分けされています。。 次お願いします。これは当時の売血由来の血液製剤となります。これは残存しているもので、PCRをかけると中からHIVウイルスが検出される筈です。私たちが使って感染したのがこちらです。 次お願いします。どういう結果をもたらしたかというと、数字にしてしまうと数字になってしまうのですが、カルテベースで追いかけた被害者数です。本当はもう少し多いと言われています。 感染者は1408人で、569人はHIVあるいは、C型肝炎、もともとの血友病等で亡くなっています。私はこの839人の中の1人。数字にしちゃうとそういうことなんです。 次お願いします。若い世代が死んでいった。10年前の和解のときに、龍平くんという若い患者がメディアでアピールしていました。「僕より小さい子どもが死んでいっている」というコピーでした。この当時、若い世代が次々と亡くなっていったのです。 次お願いします。これが動向調査委員会発表の感染者推移です。2004年に年間報告が1000人を超えたと大騒ぎしましたけど。実はこのサーベイランスのはるか以前、1984年くらいに1500人集団がいたということです。僕らのエイズの特殊性というのは、未知の感染症のホットスポット集団だったということで、ひとつの客観的薬害エイズの姿であります。
―覚えていますか?日本で初めてのエイズ報道―
花井: 次お願いします。これは初めて日本で報道されたエイズの報道です。 次お願いします。○が付いていますが、僕はこの記事をよく覚えています。学生時代に下宿で見たんです。 ベタ記事なのですけれども、「患者のほとんどは同性愛の若い男性。しかしその後重度の麻薬常習者や血友病患者などに広がり始めている。」との記載があります。たった5000人の、自分の稀な病名が新聞に載ったので、多くの患者がこれを覚えていました。 次お願いします。エイズというのは、今思えばウイルス感染症で、コントロール可能な慢性疾患ですが。当時、1980年代後半、こういう事件が起きまして。エイズにカギ括弧が付いて、余分な記号性を持ってしまった。一面で非常に差別的。また一方で「おまえエイズちゃうか?」などとギャグにされたりする、国内で決定的に差別・偏見の対象となっていったのはこの時期であります。 しかし、大騒ぎの傍らで僕ら1500人は日本にまぎれもなくいた。それが通常の病だけではなくて、そういう差別をされる恐怖、もうこの時期からは恐怖ですが、そういうものがありました。
―エイズだとバラしたのは、病院だった!!!―
花井: 次お願いします。今のような状況があって、エイズ予防法案、これもいろいろあるのですが、とりあえず国中が盛り上がりました。その盛り上がり方は、皆さんは忘れてしまっているかもしれませんが、全く未知の脅威に相対したときの先生、専門家、政治家、社会的地位の高い人たちのうろたえぶりとその発言は驚きでした。 今日は、その例はあまり持ってきていませんけれども、恐ろしいことです。患者を管理する法律を作れとか、罰則を作れとか大騒ぎをするのですが。言い方からして、この人は知識人たり得る人なのか、というようなことがたくさん、当たり前のように「そうだ、そうだ」となったわけです。
結局、何が起きたか。エイズって見ただけではわかりません、看板あげてないわけですから。そこで、どこでバレるかというと、病院なんです。病院以外で分かりっこないんのですが、病院の中で差別が始まった。アルコール綿で診察券を拭かれたりとかそういうこともありました。 次お願いします。病院で死ねるのか、と追いつめられた。命もない、お金もない、病院もない、何もない。失うものは何もない。 次お願いします。ちょうど10年前、菅直人がもっとかっこいい姿だと私は思っているんですけれども、今がかっこ悪いってわけじゃないですけれど。みんな泣いている。SPが泣いているのが初めてじゃないか、普通はSP泣かないですよ。 次お願いします。奇跡が起こりました。医療が進みました、アメリカで新しい薬ができた96年。和解以降にも死亡者が加えられたのです。 次お願いします。当時の告知の問題ですね。遺族の方の64%が告知が問題だったと言っているグラフです。
―おびえる子どもと医師の戸惑い―
花井: 次お願いします。ナラティブをちょっと紹介します。ナラティブ、語りですね。当時の遺族の方ですが、もう先生がマスクしてエプロン付けて入ってくるだけで、子どもはすごく不安がるんです。「大事な体にバイ菌入ってこんように、外のそれをさけるためにやっているんやで」というふうにずっと言い聞かせてましたね。直接それやということは、その時点ではなかなか言ってもらえなかったですね。それはお医者さんに教えてほしかったなぁと、恨んだときもありました。これは遺族の言葉です。
いわゆる、過剰な防御をして医師が、患者に対しているわけです。私も新聞紙を敷かれたりもしました。医療者がビビッてしまって。すごいオペスタイルでやって来るのですよ、病室に。お母さんも必死になって「これは、あなたのためにやっているのよ」って言ってましたね。しかも、告知自体もされてない。だけど、医者はどうしようもなかったのかというと。 このお医者さんは、客観的に見れば、血友病専門医の中では最も良質な方ではあるんだけれど、それにしても、いろいろあるのですね。知りたくない権利もあるから、伝えるべきじゃないかもしれない。しかし、二次感染が心配。この医師の迷いですね。
実は当時、薬害エイズの一般的な報道は、医師は人殺しだと。危険のある製剤を使いまくったと。安部さんがその象徴として語られ、患者を金儲けの道具にしたんだ、みたいなことが、広河隆一の本とか櫻井よしこの本を読むと、そうともとれるんですが。実態はそういう側面もありつつ、人間としての臨床医の未知のものに対するうろたえぶり。患者の悲しみと恐怖。これが、相互にコミュニケーション不全のまま悲劇を拡大した、という側面があるというのが僕が学んだことです。
―エイズの医療が何もなかった―
次お願いします。和解以降はエイズの医療が何もなかったから、国に医療をお願いします、といろいろやっていった。 次お願いします。その過程で、薬を導入して、僕が今生きている理由ですけれども、医療をちゃんと患者のためになるものを作ろうとすると、何1つ作れない。病院の定員の中でカウンセラーが事務職員でしかなかったり、ソーシャルワーカーが医事課に1人いて病院全体の相談に対応しますとか。 全部特別な税金を投入し、もしくは研究班の中からレジデントとして配置したりしなければ、保険医療でカバーできる範囲に必要なものが何一つない。そうすると、命を救う医療を作ると、特別な税金なり研究班なりを次々入れてはいろんなスキームを作ってはやると。未だにこれは行政の方から嫌がられています。
患者が増えて医療の質が下がるから増やしてくれというわけですけれども、制度上はかなり困難です。医療財源の配分がなっていないというか、この10年間医療を作る中で痛感しました。これは行政を守るわけではありませんが、当時関わった行政官も痛感しながら、一緒にいろんな仕組みを作って、何とかエイズの医療を作ってきた。
―医師からの独立戦争だ!目指すは対等な友人関係―
花井:
時間がないので、以上で私の話は終わります。最後に締めとしましては、一人の人間として医師があり、一人の人間として患者があるという当たり前のことが実現するのが、臨床の現場であって、それを作り上げる制度がない、ということを、僕らは考えたわけです。
会場:
(拍手)
小宮:
どうもありがとうございました。残り時間が少なくなってしまいました。
―長野県泰阜村村長の松島貞治さん―
松島: 長野県泰阜村の村長の松島貞治でございます。長野県の人口2400人の過疎の山村でございます。医療・福祉と関係ございませんが、長野県の田中康夫知事が、住民票を移したのは私の村でございます。
―在宅福祉に力を入れたら医療費が下がった!!!!!!!―
松島:
昭和60年、1985年位になるでしょうか。泰阜村の高齢化率が20%を超えた頃に、医療費がものすごく上がりました。そのとき、一人の青年医師が泰阜村の診療所に着任しました。高齢化の現実の中で、「医療ではなく福祉だ」と村の方針を転換しました。そして、在宅医療、在宅福祉に転換したら、医療費が下がってしまったんです。どうしたらいいか分からないくらい、下がってしまいました。国民健康保険税をこれ以上下げていいのかというくらいまで下がってしまったんです。
なぜ、下がったのか分からずに、私も診療所職員でございましたので、調べたんです。結論は、小さな保健所なので、実は癌の患者が出たら大変、透析患者が出たら大変などと言っていましたが、そうではなくて終末期医療にあった。それ以前は在宅死が3割程度であったのすが、在宅福祉を始めて、平成3年、4年は、在宅死が8割までいったんです。それとともに医療費が下がったんです。
―医療費を高騰させる、病院での終末期医療―
松島:
結局、医療費の高い原因は終末期医療にあった。特に高齢者の終末期の病院医療にあったというのが、私どもの結論でございます。
現千葉県の堂本知事が参議院時代に、当時の国民生活福祉委員会と思いますが、参議院の委員会で質問してくれいるのです。泰阜村のことを事例に挙げて。当時の津島厚生大臣でしたが、津島厚生大臣は「よく分かる」と答弁した。私も国会の委員会の議事録を読ませて頂きましたが、そういうことでした。
―こどもが親を入院させるようになって……―
ところが、平成17年度に、うちの老人医療費が上がりだしたのです。長野県の平均より少し低いですが。
―あなたは人生の終末を自分はどう迎える?―
松島:
私の今の結論は、端的に言わせて頂くと、語弊があるかもしれませんが、ここにいる方は正しく聞いてくれると思いますが、高齢者が倒れて自分で食べられなくなったら、死を迎えていいと思っています。今度の介護保険は人間の尊厳を守るを掲げています。ただ、時間だけ長く生きればいいのかどうか、もう1回よく考える必要があるのではないでしょうか? どういう形で自分の人生の終末を迎えるか。 会場: (拍手)
小宮:
ありがとうございました。前回の介護保険の改定で、口から食べる支援をした場合、報酬が付くようになって、チューブではなく、ちゃんと自分の口から食べられることに支援が付くようになったことは非常に良い事だと思います。食べる障害が出てきた場合にも、自立して生きる道が開かれつつあるので、そちらのほうにももっとお金がかかっていくのだったらいいなぁと思ってお聞きしておりました。
いろいろな議論がありましたけど、1周いたしました。松島さんの話では、泰阜村で在宅介護を充実させたら、医療費も下がった、ただ、このまま病院にみんなが入り続けたら、どうしようもないとおっしゃいました。
―困った経験をもった方と行政が、平素から知り合うこと、そこから信頼感が―
辻 :
一つ一つのことを、自分に何ができるかを考えながらうかがっておりました。私は、国の行政ということで、靴の外から掻くような仕事をしているわけですが、方向というものをきちんとしなければならないと考えて、この会にも毎回出席させて頂いています。本当に困った方の話を行政は聞かなくてはならないと、つねづね肝に銘じております。
―向き合える関係、共に前に進める関係を―
辻 :
向き合える関係、共に前に進める関係。行政がイの一番にそうしなければならないとも考えております。こういうものが今、日本の医療で本当にしっかりやらなくてはならない、と感じております。私どももそのように努力したいと思います。
―「生きる質」、「生ききる」―
辻 :
そういう積み重ねをしていくことによって、私もこの年になったら、死のことも、身近な肉親を通して見てまいりましたし、あえていうと「生ききる」、私が最近聞いた好きな言葉ですが、「生きる質」、「生ききる」ということを考えるということをしなければならない。
小宮:
どうもありがとうございました。本来の予定では、この後みんなで討論する予定でしたが、時間になってしましましたので、これからお一言ずつ、他の参加者からのご発言を頂ければと思います。
―患者、国民が入った改革へ―
勝村:
今、随分医療改革が進んできていると思うので、情報公開などによって、議論の前提になるものが出てきて、現状が分かってきました。
小宮:
どうもありがとうございました。
―思いを馳せて、広い視野で。失う前にその大切さを知らなければ―
坂下:
慢性疾患と違い、「救急」って、利用して初めてありがたみを知るものです。健康な市民が関心を向けることが少ない。それと同じように、子どもがいない人は子どもに関心がないとか、若いうちは高齢者に関心がないとか、本当に身近に迫っていることにしか関心が持てないことが、困ったものだと思うのですね。思いを馳せるということがなかなか難しい。 小宮:花井さん、お願いします。
―人間が人間らしく普通に生きて死ねること―
花井:
もう語り尽くされたと思いますけど、人間が人間らしく普通に生きて死ねることをみんなが強く願って回を重ねればきっとうまくいく。 小宮: 次に、松島さん、お願いします。
―必要なところに十分な財源を―
松島:
私は、行政の人間なので、財源が限られていることを深刻に考えています。惣万さんの話ではないけど、高福祉高負担なら可能ですが、高福祉低負担をうちの住民は望んでおる。それは無理だと、私は言っているんですね。
―国民が参加できる医療改革へ―
小宮:
ありがとうございました。いろいろな意見があると思います。 会場: (拍手) 山田: コーディネーターの小宮様、シンポジストの皆様、本当にありがとうございました。もう1度、大きな拍手をお願い致します。
―また新たなえにしへ―
山田:
さて、今年のえにしを結ぶ会も終わりに近付いてまいりました。自立と尊厳、一人の人間としての患者、医師、そして行政の方。当事者に分からないことがたくさんある。そして、「生ききること」と「死にがいのある日本」、濃縮シンポジウムのTとUがぴったりと重なってきました。このえにしを新たにして、次につながっていく力にしていきたいと思います。 会場: (拍手)
―同じ志をもったえにしの仲間たち―
ゆき:
皆さま、雨の中、ことしも、お集まりくださいましてありがとうございます。
飛行機の都合で、お帰りになった新潟県立看護大学学長の中島紀恵子先生が、「厚生労働省の人がずいぶん大勢、来ているけど、本当に自発的に来ているの?」と疑わしそうに尋ねられました。私、決して強制した覚えはなく(笑い)、現場の生の声に接したいという想いで、厚労省、国交省、文科省や自治体行政のみなさまが、休日返上で参加なさったのが、ほんとうのことです。そのことをと申し上げたら、中島先生、「役所も変わったわねえ」とびっくりなさってお帰りになりました。
世の中、対決するのがとても好きな方もいますけれども、今日お集まりになっている方の向いている方向や志は一致していると思います。胸につけていらっしゃる名札には、縁(えにし)、絆、編む、紡ぐ、という文字が上下の飾りついています。記念にお持ち帰りになって、同じ志に向かってお互いに縁を結んでいただけたらなぁと願っています。
青い冊子の最終ページ(※ワードファイル)に今日、黒子のようにさりげなく動いてくださっているCLC、全国コミュニティーライフサポートセンターの事務局のボランティアのスタッフマニュアルの一部を載せさせていただきました。きょうの集いがつつがなく運んだ背景にはこの方々のワザとシステムがありました。医療や福祉制度も、これと似ているようにおもいます。舞台の上で活躍するナースや医師やケアスタッフを支える人とシステムが充実してこそ、利用者本位という結果がもたらされるものなのではないでしょうか? CLCの皆さん、ありがとうございました。
そして、素晴らしい演奏を聞かせて頂いた「ネクスト」のみなさま、ありがとうございました。実は、連載記事「和製ヨン様、3つの奇跡」の写真をとるという口実で練習風景を聴きにうかがいました。そして、これは素晴らしい、皆様に聞いて頂きたいと思いまして、口説き落として、今日は来て頂きました。予定にはなかったのですが、急遽、みなさまをお見送りする演奏をプレゼントして下さるそうで、本当にありがとうございます。
少々お待ちください。番外のハプニングです。青い冊子には「入院中」と書いてある、べてるの家の販売部長のキヨシどん、早坂潔さんが、退院していらっしゃいました。ひとこと喋りたいというお申し出ですので、結びの言葉をお願いします。
―飛び入りのキヨシどん「病気とともに苦労して、商売、金儲け」―
早坂:
皆様、こんにちは。北海道浦河町から来ました、精神バラバラ状態の早坂です。今年4月からMCメディアンという会社ができました。そこのロビーでも売っているんですけれども、向谷地生良さんが書いてくれた「べてるから吹く風」という本が出ました。僕たち病気のこととか、商売のこととか、いろいろなことが書いてあります。1人1冊でもいいですから、ぜひ買って下さい。
―えにしを結ぶ会2006年閉会―
山田:
ウルトラマンだって、地球上での活動時間は3分間ですものね。本当にありがとうございました。それでは、最後、ネクストの皆さんに演奏して頂きながら、今日のえにしの集いを結んでいきたいと思います。 |