物語・介護保険
(呆け老人をかかえる家族の会の機関誌『ぽ〜れぼ〜れ』、社会保険研究所刊「介護保険情報」の連載より)

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■「特例許可外老人病院」という名の「違法病院」■

 第4話「日本型福祉」が生んだ「日本型悲劇」で、老人保健課長の伊藤雅治さんが、「伊藤課長のカバン持ち」に化けた老人保健部長の岡光序治さんを「お伴」に、老人病院を視察に出かけたことをご紹介しました。
 伊藤さんは、そこで、お年寄りが「マグロを並べたような」扱いをされ、「付添いさん」と称する無資格の女性たちが廊下でタバコをふかしてたむろしている光景を目撃しました。「フロもなく、死亡退院がほとんど」という事実を知って愕然としました。今回は、その続きです。

 表@は、日本にしかない「病院もどき」の数の変化です。1982年に制定された老人保健法で奇妙な病院群が市民権をえました。  ひとつは、「特例許可老人病院」。  医療法の病院の基準を満たしていていないけれど、つぶすわけにいかないので低い基準を定めて目コボシしようというものです。「特例」の名は「スタッフの数を低くしてもよい」という「精神科特例」の次官通達にヒントを得たのだそうです。  「特例許可外老人病院」は、その大まけにまけた基準にも達しない、正しく命名すれば「違法病院」です。

 これらの「病院」は、出来高払いの制度を利用して点滴づけ、検査づけで収入をあげていました。歴代の担当者は、表Aのように、薬や検査では儲かりにくい仕組みを導入して退治しようとしたのですが、結果は表@でご覧のとおり。
 1983年当時は全病院の4・8%だったのが、伊藤さんが老人保健課長に就任した89年には8・7%に膨れ上がっていました。

■薬づけの害を誰よりも知っているのは……■

 伊藤さんは、この事態を改善するために、通称「介護力強化病院」を考えました。
 付添婦を家族が私的な契約で雇う方式をやめさせ、病院職員に変えることを求めました。介護職を患者4人あるいは5人に1人にした場合に、手厚い入院管理料を支払う誘導策をとりました。
 「特例許可外」というヘンな名前を廃止し「重点指導対象病院」としました。
 付添婦の連合体は当時の労働省の縄張りです。介護福祉士制度に猛反対したように、この問題でも横やりを入れましたが、なんとかクリア。日本医師会の了承を得るために担当理事の茅ケ崎の自宅にお百度を踏んでこれもクリアできました。

写真@:横尾・伊藤両良課長が各社論説委員を案内した埼玉の優等生老人病院

 海外先進国のケア施設に比べると「介護力強化」とはお世辞にもいえない体制ですが、それでも、目に見えて効果があがり始めました。
 写真@は、政策課長だった横尾和子さんと伊藤さんが、新聞、テレビの論説委員、解説委員を案内した埼玉県にあった「介護力強化老人病院」のモデル。お年寄りは実にいい顔色です。名誉院長が「不要な薬の処方まかりならん」という信念の人なのだそうです。
 院長はいいました。
 「ここの患者さんのお身内だけで、総合病院ができるくらいなんです。あの方は外科の先生の奥様、あちらは内科の先生のお母様、こちらは製薬会社の重役さんのお姉様です」
 薬づけの害を誰よりも知っているのはお医者さんと製薬会社の人なのだなあ、と納得する光景でした。

 伊藤さんは、新たな仕組みを導入してからの変化を108の病院にアンケートしました。90年1月と91年1月のそれぞれ1カ月間を調べて比較しました。回答率は8割。
 検査が減った病院は71・0%、投薬が減った病院82・6%、注射が減った病院83・7%。一方、理学療法は54・6%の病院で増えています。
 看護業務では、注射や処置が減った病院が72.1%、その代わりに食事の介助、入浴の介助、排泄の介助が増えていました。
 経営的な数字を比較すると、職員の数が増えたので給与経費が増え、医薬品材料が減り、差し引きは収入増という計算になりました。

写真A:デンマークのには老人病院はなく、日本の特別養護老人ホームにあたるプライエム(ケアホーム)があります。全室個室で、思い出の家具をもちこむことが奨励されます。

 というと万々歳のようですが、写真@に写っているようお年寄りは、高齢化の先輩国では、「病院」ではなく、写真Aのようなケアホーム、ケアつき共同住居、「お年寄りに優しい住宅」で暮らす。それが常識であることも付け加えておかなくてはなりません。



■「風鈴」から生まれた訪問看護ステーション■

 伊藤さんは、「訪問看護ステーションの生みの親」とも呼ばれます。課長に就任したときの最大の課題がお年寄りに一部負担を求める老人保健法の改正でした。強い反対が予想される制度改正には、この世界の言葉でいう「風鈴」をつけて関心をそちらに向けるのが、お役所の伝統的手法です。お年寄りに喜ばれる新制度として、伊藤さんは訪問看護を思い立ちました。夫人久子さんが看護婦と保健婦の資格の持ち主という影響がひょっとしたらあったのかもしれません。

 ただ、難問が控えていました。
 これは、ナースが独立して事業所を構えることができる制度です。医師会が反対するのではないか。
 恐る恐る副会長の村瀬敏郎さんに相談すると、意外に前向きな感触。社会保険制度が日本と似ているドイツとフランスに、二人一緒に視察にゆくことになりました。そのとき出会ったのが、ドイツの介護保険制度のカナメである「ゾチアルスタチオン」。いま話題の地域包括支援センターに似ています。
 これをモデルに日本の訪問看護ステーションが誕生することになりました。

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