物語・介護保険
(呆け老人をかかえる家族の会の機関誌『ぽ〜れぼ〜れ』、社会保険研究所刊「介護保険情報」の連載より) ※写真にマウスポインタをのせると説明が表示されます |
■8年ぶりの入浴■
「国民皆介護保険制度の創設を!」という提言(写真)が『月刊総合ケア』に載ったのは、厚生省が介護保険構想を公にする3年前の1991年11月のことでした。
抜き書きしてみます。
筆者は、当時まだ26歳だった伊原和人さん(現・厚生労働省官房企画官)です。
「霞ケ関にいた時には、ゴールドプランがほんとうに役にたっているのだろうかと不安になったこともあったのです。けれど、伊丹市で働くようになって、確かな手応えを感じました」と、伊原さんは当時を回想します。
民間介護保険を奨励する方式もありえます。けれどこのような方式をとっているアメリカの医療は、利用できない人の不満がつのり、各サービスの単価は上昇し、社会全体としてのコストアップを招いていました。 ■自民党政権が終焉して……■ (表1)めまぐるしい政界ドラマと介護保険をめぐる動き
92.5 細川護煕氏「日本新党」旗揚げ93.6 宮沢内閣不信任案可決 93.6 武村正義氏らが自民を離党し「新党さきがけ」結成 93.6 羽田孜氏らが自民を離党し「新生党」を結成 93.6 社会、新生、公明、民社、社民連の5党が、「非自民」連立政権樹立で合意。 93.7 小沢一郎氏が「細川首相案」で根回し 93.7 総選挙、自民・非自民ともに過半数に届かず 93.8 新党さきがけ、日本新党を巻き込み細川非自民政権。連立与党党首全員入閣。大内啓伍民社党委員長が厚相に。 93.10 大内厚相の私的懇談会「21世紀福祉ビジョン懇」発足 94.2 小沢一郎氏と大蔵省幹部が細川首相に「国民福祉税」を根回し 94.2 未明の記者会見で細川首相が7%の国民福祉税構想を発表。34時間後に白紙撤回 94.3 ビジョン懇報告 医療:福祉を2:3に 94.4 厚生省に高齢者介護対策本部設置 94.4 ドイツで介護保険 94.4 細川首相退陣 94.4 新生党の羽田孜党首が首相に。 94.6 朝日新聞一面特ダネ「制度審将来像委・公的な介護保険の導入求める報告を作成中」 94.6 非自民政権崩壊、自社さ村山政権発足。厚相に井出正一氏。 94.7 厚生省に高齢者介護・自立支援システム研究会設置 94.8 与党プロジェクトチーム新ゴールドプラン提案 94.9 制度審将来像委員会が「公的介護保険導入」を提言 94.12 高齢者介護・自立支援システム研究会が「公的介護保険創設」を提言 たとえば、「ゴールドプラン」は、89年の参院選での自民党の大敗がなければ生まれませんでした。そのいきさつは、第10話「ゴールドプランと"男は度胸"3人組」でご紹介しました。伊原さんの「秋の夜長の夢物語か」という副題が現実になった背景にも、思いがけない政局の変動がありました。(表1)
竹下派会長の金丸信氏が佐川急便事件で議員辞職。これがきっかけで竹下派が分裂し、自民党が割れました。そして、93年6月18日の衆院本会議で、自民党羽田派と野党各党の賛成多数で、宮沢内閣不信任決議案が可決された。それが、事の始まりでした。
ところが、蓋をあけてみると、自民党は選挙前の勢力を一議席上回り、「抜きん出た第一党」と自信を見せました。評論家たちも、新生党と社会党の連立の難しさを指摘していました。 ・「自民党が生まれ変われば、連携もありうる」と、選挙期間中、自民党との協力姿勢を示したこともある細川さんを、何としても非自民側に引き寄せる必要があった。
このような思惑から日本新党をたぐり寄せ、社会党も非自民の枠内に取り込んだ小沢戦略にとって、最後の難関になったのが、新党さきがけでした。 ■脚本・大蔵省、演出・小沢一郎……■
細川内閣の厚生大臣は、民社党委員長の大内啓伍さんに決まりました。この状況に、「チャンス、到来」と喜んだ人物がいます。厚生省官房総務課長だった和田勝さん(現・国際医療福祉大学大学院教授)です。
和田さんは、国会対策、根回しの名人といわれます。なぜか、どの党からも信任が厚く、NHKの国会討論会のときなど、自民、社会、民社、公明の4つの党からそれぞれに「発言の筋書きを」と頼まれるという、不思議な特技をもっていました。
93年10月14日、大内厚相の私的懇談会「高齢社会福祉ビジョン懇談会」(略称ビジョン懇)が発足しました。座長には大和総研理事長の宮崎勇さん、座長代理に慶応義塾長の鳥居泰彦さん。当時の新聞は、「高齢化や少産化に対応するため高齢者介護と児童福祉の問題を取り上げ、裏付けとなる財源問題についても論議していく。来年3月にも報告書を取りまとめる予定」と報じています。
ところが、思いがけないことが起こりました。2月3日の未明、午前0時52分、細川首相が7%の「国民福祉税」を突然記者発表したのです。 ■「ドイツの介護保険は眼中になかった」■ (表2)「国民福祉税」構想が34時間で消えるまで
【2月2日】15時00分 国会内で連立与党の代表者会議。国民福祉税を非公式に打診 23時48分 首相官邸で政府・与党首脳会議と経済問題協議会の合同会議。社会党は「同意しかねる」 【2月3日】 0時52分 細川首相が記者会見。国民福祉税の導入方針を正式発表 2時15分 村山社会党委員長が記者会見で政権離脱の可能性を示唆 11時5分 武村官房長官が記者会見で「反省すべき」 11時16分 社会党の6閣僚が首相に再考を申し入れ 14時33分 連立与党代表者会議。福祉目的税とする妥協案を社会党に提示 17時10分 社会党中執委が「税率7%を白紙にする」などの方針を決める 【2月4日】 11時30分 代表者会議が減税を白紙に戻すことで一致
日本新党の国会議員さえ「あまりにも唐突」と細川さんを批判。党本部には「裏切られた」「人が寝ている間に税金を上げる話をするな」と抗議電話が殺到。わずか34時間後に白紙撤回されることになりました。(表2)
4月1日厚生省は高齢者介護対策本部を設置しました。この4月1日は、奇しくもドイツで介護保険が発足の日でした。そのため、「日本の介護保険制度はドイツを手本にしたもの」と多くの人が錯覚しました。そして、「ドイツ詣で」が始まったのですが、「ドイツの介護保険は、まったく、われわれの眼中にありませんでした」と和田さんはいいます。そのわけは、後の回に。 |
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