シンポジウムの部屋

シンポジウム「超高齢社会がやってくる−共に輝いて生きるために」

1998.5.29 朝日新聞フォーラム21より

 超高齢社会に備えて、福祉の枠組みなどをどう改革すべきかを考えるシンポジウムが開かれました。パネリストは、日本より先に人口の高齢化が進む中で福祉改革を実現したデンマークの元社会大臣アナセンさんとスウェーデン元社会大臣のリンクビストさん。日本からは、ケアを体験中の経済学者の正村公宏さんと、国際政治学者の舛添要一さん、住民が参加する福祉に取り組む秋田県鷹巣町長の岩川徹さん、宅老所「よりあい」代表の下村恵美子さん。それぞれの体験を踏まえながら、6時間にわたって話し合いました。浮き彫りにされた論点は、約800人の聴衆のみなさんからの提言も取り入れ、「マリオン宣言98」にまとめられました。シンポジウムには約3700人の方から応募があり、このテーマへの関心の高さをうかがわせました。司会は 大熊由紀子・朝日新聞論説委員がつとめました。(東京・有楽町朝日ホール・マリオンで)
基調講演−1 元デンマーク社会大臣 ベント・ロル・アナセンさん

有権者の過半数という立場を活用、女性たちが政治家に圧力をかけ、公共の介護システムを拡大

 デンマークでは40年ほど前、高齢者介護に対する公共部門の責任が拡大し始めました。それは、人口の高齢化が理由ではなく、女性たちの社会革命によるものでした。
 デンマークでも、高齢者の介護は妻が担っていました。しかし、女性たちは、男性と平等の立場で職業を選択する自由を求めたのです。有権者の過半数を占める立場を活用し、公共の介護システムを確立するよう、政治家に圧力をかけました。税や社会保障の負担は増えましたが、女性の職業進出は、国民経済の健全な育成に貢献しました。
 ただ、公的ケアは高齢者を、顧客や受け身の存在にしてしまいがちです。自宅でのケアは、高齢者のそれまでの習慣や価値観を継続することで、その人が内に秘めている力や資源を引き出すことができます。公的ケアを組織化するときには、家族の価値観から生まれた手法を引き継ぐことが非常に重要です。
 公的ケアのもう一つの問題は、「客観的基準」にとらわれがちなことです。柔軟で全人的なサービス提供のために、私たちは地方分権化を推進してきました。
 例えば、高齢者が病院から退院する前に、退院会議が開かれます。
 治療スタッフと自治体のサービス提供の責任者が、高齢者自身や家族と、退院後に必要なサービスを協議します。デイ・アクティビティ・センターでのリハビリや電動車いす、家の改造やホームヘルパー、クラブ活動への送迎サービスなど、そこで決められたサービスが遅滞なく提供されます。自宅での暮らしの成功が、担当者の最大関心事です。
 問題はサービスに責任を持つ政治家が自信を持って、柔軟な行政を行えるかどうかです。
 システムを効率的、経済的に機能させるには、スタッフの育成に時間と投資が必要です。
 いまデンマークの納税者は世論調査で、「高齢者ケアの改善のためなら税金をもっと増やしてもいい」とさえ言っています。人々は親や祖父母の福祉は自分たちに責任があると考えています。そして女性は、高齢者の公的介護が削減されると、手に入れた社会進出や平等をあきらめなければいけなくなると知っているのです。

基調講演−2 元スウェーデン社会大臣 ベンクト・リンクヴィストさん

ケアサービスを充実すれば、不要な入院はしないで済む 

 私は目が不自由で、両親や姉妹の助けがなければ職業を持って自立することは不可能でした。その経験から、より良い社会政策作りを考えるようになりました。
 スウェーデンでは1960年代末に障害に対する考えが変わりました。町や建物や制度のバリアがなくなれば障害者の社会参加の機会は増え、夢や目的が実現できると考えられるようになったのです。72年には「ソサエティー・フォー・オール(万人のための社会)」という考えも生まれました。
 70年代に、要介護の高齢者のために、車いすで動けるケア付きのサービスハウスが建築され、80年代には特に痴ほう症の人のためにグループホームが導入されました。  私は6年間、高齢者政策担当の大臣を務めました。医療の必要がないのに入院を続けている高齢者に、一定水準の住宅で十分なケアとサービスを提供すれば、入院させずにすむ。そう考えたのがエーデル改革の動機の一つでした。

 私は、高齢者に対するケアサービスの責任を県と市町村に分けず一つにまとめるべきだと政府に提案しました。
 グループホームの利用者は、80年代半ばの500人だったのが現在では2万人以上。自治体の高齢者向け住宅の基準も改善されました。自分の部屋、または配偶者と一緒の部屋などがある人の割合は、改革3年でそれぞれ10ポイント近く増えました。
 ここ20年、75歳以上の後期高齢者が急速に増え、減りつつある若い労働人口でそれを支援しなければならなくなりました。後期高齢者のニーズも複雑になり、医療や介護、様々な形態の活動の組み合わせが求められています。
 今年は世界人権宣言50周年。宣言文の推敲過程でアインシュタインは言いました。「すべての人間にふさわしい一定の生活水準が達成・維持されたと認識され、それがすべての人間と国の共通の義務であると受け入れられるようになって初めて、人類は文明化されたと言える」と。
 高齢化していく人口に、より良いサービスを提供するという差し迫った大問題のために、あらゆる人々が輝き、ともに生きることができるシステムを作る。この尊い仕事に日本の皆様が成功するよう、心から願っています。

基調講演−3 専修大教授 正村公宏さん

危機の源、社会政策の貧しさ

 日本人は経済成長に関しては成功しましたが、経済力を生活の質を高めるのに有効に使ったとは言えません。重い障害を負ったときに、本人と家族の負担に対する社会的支援の仕組みができていません。
 「福祉の過剰」ではなくて、「福祉の不足」が、経済の不均衡をもたらしたのです。
 家計の貯蓄率が非常に高いのは、老後の不安のためです。
 貯蓄の過剰が貿易黒字と円高を生みます。円高不況で超低金利政策を採用した結果、バブルが起こり、その反動で、今、大変な長期不況に悩んでいます。
 今日の経済危機の源を探れば、社会政策の貧しさに行き当たります。
 50万人のヘルパーにかかる費用は、関連経費を含めて5兆円。
 国内総生産の1%で、今より安心できるシステムができ、地域に安定した職場も増えます。福祉にかけるお金は、海に捨てるものではないのです。

基調講演−4 宅老所「よりあい」代表 下村恵美子さん

お年寄り7人が自主的に居候 、いまでは全国に300カ所に

 宅老所「よりあい」は、福岡で6年半前に生まれました。中央区という九州一地価の高いところで、築75年たった大正末期の古い家を改造して使っています。泊まって、通って、住むことができる、小さなお年寄りの共同生活の家です。
 最初は通いから始まったんですが、お年寄りが帰らないんですね。
 「車が待っとりますけん、送ります」と言うと、「いや、ここが家やけん、なして、帰らなきゃいかんか」。こんな調子で、現在は七人が自主的に居候を決め込んでいらっしゃいます。

 私たちが始めたころは、宅老所は数カ所しかなかったのが、今は全国に300カ所以上、次々と生まれています。
 たくさんの人の応援なしでは絶対にここまでこられなかった。そういう意味では住民参加で本当に必要なものを行政に提案し続けるという一つの形になってきたと思っています。

基調講演−5 秋田県鷹巣町長 岩川徹さん

要はやるんだという決断

 日本人が北欧の高福祉を視察したときと同じように、私の町へ視察に来る方も「鷹巣町だからやれる」とおっしゃいます。でも、より先駆的な自治体は日本にたくさんあり、工夫すれば十分できます。要は、「やるんだ」という決断です。
 北欧では、福祉の現場で物事を決め、当事者で議論を尽くして合意形成を図ります。そこから提案されたものを政治も、周囲も、守ろうと努力します。福祉政策は、住民と行政の共同作業で進められるべきものです。

 鷹巣では1992年、自分たちの問題は自分たちで真剣に考えて提案し、実行するというワーキンググループが60人の住民によって作られました。このグループの提案を受けて、町は93年に日本の自治体として初めて24時間対応のホームヘルパー派遣に踏み切りました。
 自分たちのことを自分たちがやる。これは住民自治の本旨です。住民参加ですべてをやろう――それが鷹巣町であります。

基調講演−6  国際政治学者 舛添要一さん

北欧手本に政策転換が先決

 母が痴ほう症になり、実際に介護してみて、「男もしなければ」と痛感しました。男に「恥ずかしい」という雰囲気が残っている分、女性が苦労しています。私は東京から北九州に通っていますが、県境を越えて介護する人は増えています。
 行政が変われば、できることは山ほどあります。母のホームヘルパーさんが車を止めて仕事中に駐車違反とされる。「ホームヘルパー活動の車」というステッカーが認められればいいのに。

 高齢社会について暗いイメージしか提示してこなかったから老後が不安で、箪笥預金することになります。デンマークは消費税率22%ですが、貯金しなくてよいのです。どっちがいいでしょうか。社会が介護しなければ、だれが金を出すかで家族崩壊し、死んだ後は遺産争いになり。悲劇は繰り返されます。
 デンマークやスウェーデンと同じ方向に政策転換することが、日本経済を良くする道だし、本当の行政改革だと思います。

討 論

●高齢者に誇りと役割を 福祉の責任、市町村に

 −− 正村さんと舛添さんの基調報告に、どんな感想を持たれましたか。
 アナセン 正村さんは、日本にはホームヘルパーが50万人必要だと想定された。デンマークでは、施設の居室も自宅と考えていますので9万人、日本の人口に換算すると約200万人います。国民総生産(GNP)の2.3%を高齢者対策に使っていますが、豊かな国ならそれくらい出せるはずです。
 −− デンマークは経済の調子もいいのです。ファイナンシャルタイムズに難しい経済指標がいっぱいでているので、それを経済学者や朝日新聞の経済担当論説委員に見せましたら、「いや、確かに凄い」と感心していました。
 ケアに関する予算を比較したOECD初のデータが手元にございます。国内総生産(GDP)のノルウェーが2.8%、スウェーデンが2.7%、オランダが2.7%、デンマークが2.3%。その次のグループが:カナダ、イギリス、ベルギー、オーストリア、オーストラリアで1%台。これを私にくださったヒックスさんというOECDの方がおっしゃるには「最初、日本から返ってきた数字を見ると0.15%。あまりに少ないので、計算間違いでは? と問い合わせたら0.62という数字がもどってきました。お金持ち日本にしてはそれでも少ないけど」ということでした。2%ちょっとで豊かな介護が提供されているのです。
 リンクビスト 舛添さんのお話をうかがって思い出したことがあります。私がエーデル改革の予算60億クローネを要求したときのことです。大蔵大臣は「一銭も出せない」と言い、交渉は1年に及びました。ところか、この件で10回目にあったとき、彼が突然こう質問しはじめたのです。「サービスハウスにはレストランもあるそうだね。みんなに会えるから、寂しくないんだろうね」。結局、「出そう」ということになりました。実は、お母さんが要介護になったんです。個人的な経験はとても大事ですね。
 障害者や、加齢で障害を持った人たちのことを「彼ら」といい、違った人間であるように考えるのはやめてください。皆様だって高齢になって同じ状態になるかもしれないのです。

 −− 岩川さんと下村さんのお話については。
 リンクビスト どのような国でも、おふたりのような開拓者が必要です。そして、ほとんどの社会政策は草の根から発するべきだとおもいます。人々のニーズから発し、人々の生きているありさまからの中から発したものを社会はサポートする役割があります。我々の国でも、痴ほうが起きた人々と一緒に暮らす中で、昔の記憶を大切にした安心できる環境と人間関係の大切さが分かっていったのです。
 −− お年寄りの心に添うようにしていったら、日本では宅老所、スウェーデンではグループホームと、よく似たものが海を隔てて生まれたのですね。
 アナセン 鷹巣町を訪問したとき、自分らでサービスを作るんだという市民に女性が多いことが印象的でした。日本でも女性が政治的な力を行使して、政治を変えていくと思います。
 −− 正村さんからは、福祉の不足が経済をだめにするという話がありましたが。
 舛添 痴ほう症の老人一人を施設で介護する場合、私の試算だと年間500万円の税金がかかります。厚生省は21世紀には200万人が痴ほう症になるといっています。けれど、バリアフリーの街づくりで転倒を防ぎ、外出しやすくするなど福祉にお金を使って、200万人を仮にゼロにできたら、10兆円が浮きます。国の予算の7分の1、消費税の4%です。つまり税金も安くできる。そういう発想が必要です。
 正村 子供が激減すると20年、30年後に経済力は衰えます。昔なら赤ちゃんをおぶって店番もできたが、都市化と産業化で困難になりました。子育てや介護を支える仕組みをきちんとして女性の立場を変えることが、経済の存続を保証します。福祉のお金をケチケチすると、経済も社会も滅びます。
 リンクビスト 世界の発展には経済成長のほかに、富の平等な分配という軸があります。福祉が必要なのは、経済が活性化するからだけではない。福祉は人権の問題だという根本も忘れてはいけません。
 岩川 ホームヘルパーを増やすと財政的に厳しいといわれます。人口2万3000の鷹巣町にはフルタイム換算で34人いますが、報酬は全部で1億2000万円ぐらい。町の年間予算の1%ちょっとで、相当な人数が確保できるんです。
 下村 もし明日、交通事故で障害者になったらとか、父母に物忘れが出てきたかなとか、そういう不安がどんどん増えていく中では、金利が低くても年金や給料を一生懸命貯金してしまいます。橋の建設や埋め立てなどに何兆円も使うのを少し切り替えて、普通の人が安心してぼけていられたり、寝たきりにさせなかったりするために、お金を使ってくれたらと思います。

 −− 公的介護保険には、いずれ8−9兆円の市場にビジネスを呼び込むという側面があります。市場原理を導入する条件は何でしょう。
 正村 サービスを提供しようとする側が持つ情報と、それを受けようと思っている人たちの判断能力の間に、大きな落差があります。このギャップを埋める公的なサポートがないとだめです。情報と、情報に基づいて判断する力を社会的に支える仕組みを作らないと、市場原理は機能しません。
 −− 舛添さんはお母様のことから、判断力の弱った人の成年後見法に関心をお持ちですが。
 舛添 日本には禁治産と準禁治産という制度しかありません。10のうち8の能力が残っていても、軽い痴ほうというだけで買い物をする権利も奪い、戸籍にも禁治産者と書かれる。私も実際にやりましたが、手続きに半年以上、痴ほうであるとの診断書を書いてもらうのに30万円かかった。こういう制度を改めて、お年寄りの残存能力を活用しながら守るということについての議論がまだまだ足りないとおもいます。

 −− ところでスウェーデンでには長期介護病院という日本の老人病院を立派にしたようなものがありました。どうやってそこを生活の場に変えたのでしょうか。
 リンクビスト 簡単ではありませんでした。病院の代わりとなり、生活の質も上がるような住宅やケアなどのサービスを用意することから始めました。そして治療を終えた人が退院できない場合、入院費を自治体に負担させるような刺激を与えました。
 それなら自治体でケアの体制を整えて、病院から移した方がいい、となるわけです。
 −− 社会的入院が起きる責任は市町村だから、というわけですね。
 アナセン デンマークも、同じ仕組みで成功しました。
 −− 下村さんの「よりあい」では、病院でひどい床ずれのあった人が、ニコニコして別人のようでしたが、どうですか。
 下村 加齢による痴ほうや身体症状で混乱した生活を手助けするのが、私たちの仕事。お年寄りの笑顔がケアの水準のものさしです。宅老所では、手づかみであろうと、その人が自分で食べられれば黙って見ています。病院では刻み食、流動食、果ては点滴が始まり、点滴を抜くからと手足を縛られる。
 痴ほうのお年寄りが医療機関に入院すると、わずか一週間で変わり果てた姿になってしまいます。

 −− スウェーデンでは1977年から、個人の家でもバリアフリーでないと建築許可がおりないようになっていますが、簡単に受け入れられたのですか。
 リンクビスト 建設業界が大きな痛手を受けるようなことにはなりませんでした。家や道路、公共の建物を造るとき、最初からバリアフリーにしておけばコストは低くてすみます。途中から直そうとすると高くつくのです。老朽化で建て替え、改修する場合には、バリアフリーに公的資金で改良します。
 −− 舛添さんが問題提起されたヘルパーさんの駐車違反の件は、鷹巣町ではいかがですか。
 岩川 警察や関係機関と協議してヘルパーさんの車両には許可証をもらうので、心配はいりません。
 −− 最近、「ケアタウン探検隊」という試みがあったそうですが。
 岩川 老人保健施設を中心に在宅福祉の拠点「ケアタウン」を造る計画があります。住民の提案に基づいていろんなアイデアを基本設計に取り入れ、一室だけ先に造って、4月にモデルルームとして「探検隊」の名で開放しました。カーペットの色や間取りなど89の提案のほとんどを取り入れています。無理な場合は理由を説明します。
 −− ケアタウンの部屋は、特別養護老人ホームの最近の基準である約10平方メートルに比べて広いとか。
 岩川 完全個室化し、トイレをつけて居室面積が20平方メートル。国内で一番広くなると思っています。

 −− では最後に、お一人ずつおっしゃりたいことを。
 下村 「よりあい」でお年寄りが亡くなるのを経験し、ターミナルケアが必要になったときにバックアップしてくれる施設がほしいと感じました。いま、グループホームをつなげた新しいタイプの老人ホームを市民の手で資金集めから全部やろうと、福岡で取り組んでいます。
 岩川 福祉を進めるに当たっていろんな法律があります。介護保険もその一つですが、政治の場で決められるわけです。「福祉イコール政治だ」と思ってほしいです。政治をばかにすると、しっぺ返しを受けるのは当事者である市民・有権者。その意味で選挙の投票率の低下が心配です。
 −− 岩川さんたち28人の首長さんが去年発足させた「住民サイドの福祉行政を進める市町村長の会・福祉自治体ユニット」は、いま、110人になっています。皆様のまちの首長が入っているかどうか調べてみるとよいかもしれませんね。
 舛添 一町長、一宅老所の努力には限界があります。通達で全国一律に、暖かい沖縄と寒い北海道で同じようにケアができますか。アナセンさんたちは、最終的に地方に権限を下ろさない限り、本当にいい福祉はできないとおっしゃった。そのためには根本的に国を変えないといけない。
 正村 福祉で最も大切なのは人的資源です。例えば、ケースワークの重要な役割は要介護者、家族からニーズを掘り起こし、地域の利用可能な資源を紹介すること。ニーズを顕在化させれば福祉の大切さがみえてきます。ニーズを受け止め、地域に何が足りないかを言う改革者になることも重要です。
 リンクビスト 皆さんは自分自身や家族、愛する人たちのためにどんな社会が欲しいですか。その欲しい社会をつくらなければならない。日本の国家の富を、万人のために使っていくことが重要だと思います
 アナセン サービスを受ける人の状態を評価し、サービスを提供する人たちの教育に成功がかかっています。熟達した人材が十分に提供されない限り、官僚機構や、医療的なアプローチが強くなり、介護保険という改革を乗っ取ってしまうでしょう。

<マリオン宣言98>

 真に豊かな社会とは、老いても、病んでも、障害をもっても、死が間近に迫っても、だれもが、自分らしく生きられる社会です。超高齢社会にともに輝くために、私たちは、次のような発想の転換を宣言します。
(1)福祉の過剰ではなく、福祉の不足こそが、日本の経済をだめにし、家族の愛をこわす。福祉は弱者救済ではない。福祉を、「安心社会の基盤」「すべての人の権利」ととらえよう。
(2)人生の継続性を壊さず、自己決定を尊重すれば、高齢者の秘められた能力が刺激される。社会の負担も軽くなる。高齢者に、仲間としての役割と誇りを。
(3)介護や介助が必要な人は病人ではない。病室でなく生活の場を、住まいを。
(4)障害をもつ人は真に豊かな社会を実現する水先案内人。その提言を大切に。
(5)市場原理は、情報と判断力が両輪となってこそ機能する。判断力を補う真の代弁システムを。
(6)福祉の権限と責任を市町村へ。熟練した人材を養成し、判断を机の上から現場へ。笑顔を物差しに。
(7)政府や自治体は、市民を幸せにするための道具である。政官業癒着から市民が主役の行政と政治に。受け身の市民から自分で考え提言する市民になろう。
 シンポジウム「共に輝いて生きるために」参加者一同

(1998年6月9日 朝刊 特集 より)

▲上に戻る▲

シンポジウムの部屋・目次に戻る

トップページに戻る