福祉と医療・現場と政策の新たな「えにし」を結ぶつどいより
(2006.5.13(土)東京・内幸町のプレスセンターで)
―夢がもっともっと広がる、そんな一日に―
山田:
総合司会を務めさせて頂きます、山田晴子と申します。私事になりますが、息子がダウン症で、アキラといいますが、千葉県地域福祉支援計画を作る委員会の当事者委員になりました。知的障害のある本人が委員になるなんてまるで夢のようです。これも新たなえにしのおかげだと思っております。今日は皆様とご一緒に、新たなえにしを結ぶことで、私達の夢がもっともっと広がるように、そんな一日になることを願いつつ、司会を務めさせて頂きます。どうぞよろしくお願い致します。
会場:(拍手)
山田:
お手元にピンクの封筒、大変分厚いものでございますが、その中にブルーのプログラムと、もう一つ、ピンクの「えにし結び名簿」。このブルーのプログラムに沿って進めさせて頂きますが、1枚開けて頂きますと、ページの上と下に縁飾りがございます。これは、夢・風・10億円基金の代表世話人で、デザイナーの牧口一二さんが、えにしの会のためにデザインして下さったものでございます。
―その場に参加するすべての人のために、情報保障の手話通訳、要約筆記、磁気ループ―
山田:裏表紙に情報保障のご説明が書いてございます。最初のところだけ読ませて頂きます。
―濃縮シンポジウム「自立支援って?」の、はじまリ、はじまリp(^-^)q―
では、最初のプログラム、濃縮シンポジウムのTに入っていきたいと思います。 会場: (拍手)
―コーディネーター東洋大学の北野誠一さん、どもりがちに、自己紹介―
北野:
私、数年前、言友会というどもりの方の会に呼んで頂きました。どんな話をしましょうかと聞いたら、代表の伊藤さんという方が、「当事者として話してください」と言われたんです。彼は、私が元どもりだったことを見抜いているんですよね。私は実は初発性のどもりで、はじめの言葉が出てこなかったんです。それを見抜かれてしまって、仲間として講演したことがありました。今日はこういうすごい人達の前でどもっちゃったらどうしようかと思って……。はじめの言葉が出なかったら、永遠にこのシンポジウムが進まないのですが、由紀子さんが見てて下さるので、何とかやれそうかなと思います。
―今日のテーマ:予算が厳しい今、知恵をしぼらなくてはいけないこと?!―
北野:
1つだけ、話をさせて頂きますと、障害者の支援をしている人達にとって、今一番大変なのは、他の先進諸国と比べて、障害者の関連予算が非常に少ない。お金がとても少ないことです。アメリカのデータと比べても、非常に厳しい状況にあると。 会場: (拍手)
―「このゆびと〜まれ」の惣万さん流、「自立支援」とは?―
惣万:
皆さん、こんにちは。
―超未熟児の赤ちゃんと気持ちを通わせたのは?!―
惣万:
では、認知症のお年寄りにとっての自立とは。
―認知症のおばあちゃんも「このゆびとーまれ」に出勤?!−
惣万:
次お願いします。
―気管切開した男性の在宅生活を支える、ダイチャンという赤ちゃん―
惣万:
はい、次お願いします。
この方は、富山県のある総合病院を退院するときに、お医者さんに止められました。この人は在宅希望をしたんですけど、「とても無理です。あなたは老人病院に行きなさい」と。婦長さんも担当の看護婦さんも全部、老人病院を勧めたわけなんです。だけど、本人は「うちに帰りたい」。家族、奥さんも娘さんも、「お父さんをうちに帰らせてやりたい」とことの願望が強かったんですよ。どうしたらいいか、ということで、婦長さんがたまたま私を知っていたものですから、電話して、「惣万さん、こういう人がいるんだけど。私たち医療側で考えたら、とても在宅は無理。命の危険もある。」と。だけど強く希望されるから、一旦帰そうとなったと。でもお医者さん曰く、「帰っても1ヶ月しかもたんよ。」ってことで帰されたわけなんです。そのあたり、「このゆびとーまれ」がフォローしてくれと。そして1ヶ月しかもたない方が今4年半在宅で過ごしております。そして、4年半の間で入院したのはたった3日間です。ここ2週間前もボランティアさんと娘さんと一緒に露天風呂に入ってもらいました。露天風呂に行ったのはこれで2回目です。
―毎日切符を買って通う彼女にとっての自立―
惣万:
次お願いします。
―利用者から働く側になったカズヒコくん―
はい、次お願いします。
彼は養護学校時代から、私たち勤めて数年、1年ですか、親が全部送り迎えをしていました。送迎していました。これではいけないと思いまして、親にも来てもらって相談しました。何か、公共機関を利用して、「このゆびと〜まれ」に通勤して頂けないかと言ったときに、お父さんとお母さんにこう言われました。「惣万さん、うちの子は字も読めないんですよ。時計も分からないんです。人間は時計で動いていることも分からないんです。その子にどうして、バスで来い、電車で来いと言っても、どうしてそれができますか。私たちは送迎することが親の務めだと思っていますから、死ぬまで送迎をします」ってことを言われたんですね。「いやいやお母さんたちの気持ちは分かるけど、お母さんとお父さんが死んだときに、一番困るのはオオツカさんですよ」って言って、それから練習が始まりました。4年間過かっています、バスで来るのに。
はい、次お願いします。
―自立の3要素「所属すること,存在感、馴染みの人間関係」―
惣万:
こういう重症の障害児の方と障害者の方なんですけれども、例えば、作業所に行っても、作業をすることはできません。じゃあ、この人たちにとって、自立とは何だろうと私なりに考えまして、家族のほかにいくつか所属するところがあり、今だったら、「このゆびとーまれ」ですよね。所属するところがあり、その場で存在感がある、そして馴染みの人間関係があるということが、この人たちにとって自立なんじゃないかなと思います。そのことが、地域で生きる、地域で支えることになると思います。
―障害者をもつ母親にとっての「自立」と「このゆびとーまれ」―
惣万:
次お願いします。
―惣万佳代子にとっての「自立」―
惣万:
はい、次お願いします。
惣万:
はい、次お願いします。
―全ての国民の自立は、死にがいあるまちづくりから?!―
惣万:
最後に、私が考えた名台詞なんですけれども、日本国民1人ひとりが、日々、感動とチャレンジ精神を持ち、次大事なんですよ、死にがいのあるまちづくりを進める。死にがいですよ、ここで死んでもいい、この日本で死んでもいい、富山で死んでもいい、富山の富岡町で死んでもいいという覚悟と、それで幸せを感じるまちづくり。そしたら、国民すべてが自立するんじゃないかなぁと思います。どうもありがとうございました。
会場:
(拍手)
北野:
惣万さん、とっても素敵な写真なんですよね。見ていると、赤ちゃんというのは支援を引き出す力、支援力があるのよね。赤ちゃんにも、障害を持っている方にも高齢者にも、みんな助けたり助けられたりする力があるのよね。見てるとね。
惣万:
無抵抗な子どもを見て、笑わない人はおらんですよ。にこやかになります。嫁さんを見たらみんな顔が引きつります。(笑い)これ、冗談ですけど。子どもだったらそうなるです。
北野:
どうもありがとうございました。時間がシビアですので、すぐに次に行かせてもらいます。
会場:
(拍手)
―全国脊髄損傷者連合会の理事長の妻屋さん―
妻屋:
全国脊髄損傷者連合会の理事長の妻屋と申します。皆さん、はじめまして、よろしくお願い致します。頑張ってやらして頂きます。
―障害者から高齢者へ―
妻屋:
スライドお願いします。
ホームヘルプサービスを受けたのは、27年前、1979年に、当時はまだ家庭奉仕員派遣制度というやつですね。これを受けるようになったのです。それまで2、3年は自分で自炊をやっていて生活していました。自炊をして、洗濯をして、掃除して、全部自分でできたわけですけれども、ある日突然、このままいくと偏食をして病気になるのではないかと思いまして、初めて家庭奉仕員派遣制度を受けて、「調理をお願いします」と言いました。「調理は何でも食べますから、ヘルパーさんが、家庭で作っているような食事を作って下さい」と。「何も文句は言いません」「出されたものは全て食べます」ということで、現在まで元気で、憎たらしいほど元気で生活できていると思います。
そういうことで私は、この選択は非常に正しかったと思います。その当時、国はそういう細かいことには枠を掛けないで、私が不在でも、ちゃんと食事の支度あるいは掃除、洗濯をやってくれた時代でした。なぜ私が不在かというと、私は当時働いていたわけなんですね。横浜で工場を作って、そこで仕事を始めたわけです。そのために、毎日通勤しないといけないので、私が留守になるわけです。
だけれども、私は50歳になってから、こういうことは辞めようと。障害者団体の活動を始めようと、それが私の最後の仕事だと思いまして、仕事を辞めまして50歳から今の団体に入って活動しているわけです。
―本人が不在の場合は家事援助が受けられない―
妻屋:
次お願いします。
そうするとどういうことになるかというと、私が社会で約束している、何日の何時に行かなければならないという時、「いや、今日はヘルパーさんが来るからそれは行けません」というような、「そういう約束はできません」という状況がたくさん出てくるわけですね。それでも私は、「じゃあヘルパーは今日はいらないです。こっちの約束を第1にしますから、こっちの約束を守るためにヘルパーさんは今日は欠席して下さい」といった状況が、2003年から続いたわけです。
また、自立支援法がこの4月から適用されましたが、それもやはり以前と同じように不在のときはヘルパーサービスは受けられない。ちょうど私は今年65歳になりまして、今年から介護保険制度になったわけですね。私はこう見えても、恐れ多くも要介護3という認定をもらいました(笑い)。これは勝手にそういうのを付けられている、私は非常に不満に思っています。誰が私を差し置いて、「あなたは要介護3だ」なんてよく言えるなとちょっと思ったわけですけれども、そういう制度なので、今は馴染んでいるわけですけれども。しかし、やはり留守中にはあがれないということで、今非常に苦労しています。今日は土日ですから、土日は私ヘルパーを呼んでおりませんので、今日は自由にできます。
―自立、それは、選び、決定をし、責任をとること、役割を果たしくこと―
妻屋:
次お願いします。
どんなに重い障害があっても、自分の能力、残された能力を最大限活用して、自分に与えられた役割を果たしていけば、それで自立になると、今、皆さんに申し上げているところなんですね。これはかなり厳しいことだと思います。自立って本当にこんなに厳しいものかと言われるくらいの、今の言葉だと思いますが、普通の人でも自立している人としていない人がいるんではないかと思いますが、私の考え方から言うと、こういう言葉が自立であるというふうに思っております。
自立を支援するには、自分で選ぶ、あるいは決定する、そして責任を取る。こういう環境を作って頂くのが、またこういう環境がなければ、私も偉そうにここに来れるような立場ではないのですが、こういう環境があるからこそ、今ここに来ることができるのだと言えると思います。
自己選択、自己決定ですから、自分が自立しなくても、それは自己選択も自己決定だと思っていますから、それはそれで良いと私は思っているわけです。自立ということと自立支援ということを、私は前提として、次お願いします。
―制度が、自立を邪魔している―
妻屋:
現在の在宅サービスについて、こういう問題があるということです。
介護保険制度でも、4月から新しく制度が変わりましたが。これまでは家事援助を3時間連続でやって頂けました。そして私のところへ朝10時にヘルパーが来て、掃除・洗濯・調理全部やって、もう忙しいのですけれども、3時間でこなして、それでワンセットで終わりなんです。そうすると、10時から1時までですから、私は1時からフリーになるわけですから、1時からどこでも出掛けられるようになるわけですね。ということだったんですけれども、今度は家事援助に限っては、1.5時間を限度となったんですね。どうしても3時間受けたければ、2時間休んでまた1.5時間という制度になったんですね。そうすると、朝10時に来て、11時半まで調理をやって、また2時間休んで、それからまた1.5時間来るんですよ。それで3時に終わるわけですね。
他にもいろいろ抑制があると思いますけれども、抑制するんだったら、私に要介護3をくれない方がいいんですよ。要介護2.5とか2にすれば抑制になるわけですけれども。しかし、私は要介護3をもらっているんですよ。これだけ使いなさいという書類が来るんですよ。そうすると、使えないじゃないですか。要介護3というのは何だったのかということになるわけですね。
会場:
(拍手)
北野:
惣万さんが、介護保険と自立支援法の結婚という話をされましたけれども、妻屋さん、何かお考えがあれば。
妻屋:
制度があるから、偉そうなことを言って、こんなところへ来れて、そして、いろんなところに行けるわけなんですね。制度のおかげだと私は思っています。そういう面では、制度としては介護保険でも自立支援法でも何でも良いと思います。
北野:
どうもありがとうございました。
―石神井訪問看護ステーションの小島操さんは、福祉用具の草分け―
小島:
練馬区の石神井訪問看護ステーションから来ました、ケアマネージャーの小島と言います。福祉用具のことについて自立支援を考えてみよう、ということでお話致します。ですから、介護保険制度を中心としたお話になります。
―事件は現場で起こっている!?―
小島:
「えっ、ちょっと待ってよ」と思ったことを、皆さんに説明して帰りたいと思います。
―「自立支援」と「尊厳の保持」を基本に―
小島:
次お願いします。
―福祉用具レンタルについての改訂―
小島:
次お願いします。
―「厚生労働省は仲間じゃない」とおもいました―
小島:
はいお願いします。
「福祉用貸与費の算定における状態像については、介護保険給付費分科会において、要介護認定の認定調査における基本調査の結果を活用して客観的に判定することが求められており、認められない。」要するに先ほどの調査結果でしか認められない。
次お願いします。
―もう一度考えて・・・「自立支援」「尊厳の保持」―
小島:
次お願いします。
介護保健法改正の理念には「制度の持続可能性を高める」と言う言葉もありました。それはとても大事なことだと私は思っています。
今後、給付管理表にはケアマネの全国統一番号も記載が義務つけられます。これによって私たちはケアプランについて、その継続的なマネジメントについても管理されることになりました。そのほかにも減算があります。これだけ管理するのですから、現場の判断は重要視されてよいと判断しています。いかがでしょうか・・・。
―国民会議へ中継―
小島:
さて、今回私と同じ話題で、第2回福祉用具国民会議が開催されています。事業者・ケアマネージャー・学者・ジャーナリスト、いろんな方たちが集まって、今回の福祉用具のレンタルについての話をしようということで。あと私の持ち時間3分を使って、そこと今中継を致しますので。上手くいきましたら、拍手して下さいね。
東畠:
聞こえます。国民会議は2回目です。
小島:
ありがとうございました。
東畠:
こちら、終わります。
会場:
(拍手)
小島:
よかったーという感じです。今、司会をしていらしたのが、東畠弘子さん。福祉用具のジャーナリストの方です。横にいらっしゃいましたのが和田勲さんという方で4月下旬ぐらいに、この問題について厚生労働省の前に2週間、座り込みをなさいました。その間、いろいろな支援を受けまして、それは「えにし」のネットの方にも出ていますので、見て下さい。
会場:
(拍手)
北野:
声がもう少し通ったら、もっとよかったですけどね。手話通訳の方たち、ご苦労されたようですが。 会場: (拍手)
―厚生労働省社会・援護局長中村秀一さん―
中村:
中村でございます。15分の持ち時間の中で質疑のために少し時間を残せということで、一番時間がプレッシャーになっています。
―中村さんが今日ここにいる理由と伝えたいこと―
中村:
なぜ私がここにいるかというと、昨年、介護保険の見直しと障害者自立支援法の制定に関与しました。昨年の8月まで介護保険の担当局長をしていましたし、8月以降、障害者自立支援法の国会審議を担当する局長でございましたので、その立場からここに出てきて、皆さんに対して説明するようにということではないかと思います。
これらの制度改革の理念につきましては、我々が介護保険を見直すときに、高齢者介護研究会を設置し、堀田力さんに座長をお願いし、整理いたしました。成果は、2003年6月に「2015年の高齢者介護」というレポートとしてまとめられています。その中で「尊厳を支えるケア」を目指すことが歌われています。尊厳とは何かということになるのですが、その根底にあるのは、自分の人生を自分で決め、また周囲からも個人として尊重されることであると論じています。個々人が、そのような意味で、尊厳を保持して生活を送ること、それが可能となる社会を創っていくこと、これが自立支援の基本であると考えています。詳しくは、「2015年の高齢者介護」を、是非お読み頂きたいと思います。
理念の点は、以上とさせていただいて、私は、ここでは、制度・環境の問題をお話ししようと思います。すなわち、2005年の制度改正の考え方について説明したいと思います。また、北野先生から最初に問題提起がありまして、例えば、障害者行政に使われるお金が非常に日本は少ないんじゃないか、というお話もありましたので、そのことについての、私なりの分析もちょっとお目に掛けられたらと思います。
―福祉に起きている90年以降の「地殻変動」―
中村:
シンポジウムUに、厚生労働省のスピーカーとして辻厚生労働審議官が来ていますが、辻と中村と一緒に1990年の「福祉八法の改正」を担当させて頂きました。私は、介護・福祉については、1990年以降、「地殻変動」とも言ってよい、相当大きな変化が生じている、と考えています。介護・福祉は、大きく変貌しております。
それでは、90年以降、福祉・介護において生じている「大きな地殻変動」とはどういうことでしょうか。この後医療改革のセッションがありますが、医療の動きと福祉・介護の動きは、90年以降、全く対照的な動きをしているというのが私の立論です。
―社会保障給付費の推移からみる「地殻変動」―
中村:
私は、この「地殻変動」を社会保障給付費で検証しようと思います。スライドは、社会保障にいくらお金をかけているか=社会保障給付費を示しています。
そこで、私がいう地殻変動の意味ですが、1990年を区切りにして、その前の10年間=80年代と、1990年以降現在までの福祉と医療の給付費の変化に注目しています。
90年以降はどうであったか。1990年から2006年にかけて、福祉は4.8兆円から14.9兆円と10兆1000億円増加しています。これに対し、医療は18.4兆円から27.5兆円へと9兆1000億円の増加となっています。このように1990年以降、給付費(保険料と税金は、1980年代と全く異なった動きをしています。(福祉については、生活保護なども含み、すべて対人サービスすべてとうわけではありませんが、それにしても医療を上回る10兆1000億円の増でることは、注目に値します)90年以降、何かが起こっています。これが私の言う「地殻変動」であります。
―90年改革を振り返る―
中村:
そのことは、福祉の社会保障に占めるシェアにも反映しています。社会保障給付費に占める福祉のシェアは、1970年には16.8%であったものが、1980年には14.5%に低下してきております。1973年の「福祉元年」以降、保険料を財源をしている年金、医療の給付費が、急速に伸びたというのは、皆さんご存知だと思います。その結果、相対的に伸びの小さい福祉のシェアが低下してきました。
1990年のゴールドプラン開始当時の福祉のシェア10.2%が、2006年には16.6%まで上昇していきております。妻屋さんが言って頂きましたけれども、こういう環境=基盤整備、資金の投入がなければ、この場に参加して頂けるような状況を創れなかったと思います。確かに、そのとおりでありましょう。
中村:
今日の介護・福祉をめぐる状況を創りだした背景にあるものは何でしょうか。
ホームヘルパーを派遣していたのは10万人でありました。24万人の在宅の寝たきり老人がいるといいながら、10万人しか派遣できていない状況でした。その10万人で年に何回かヘルパーさんが行っていたか。妻屋さんのところに年に何回行ったか分かりませんが、全国平均で年に48回でありました。つまり、週に一度行っていないのが90年の当時のホームヘルパーの現状でした。現在は、介護保険制度ができて、要介護5の方に、ヘルパーは何回行っているかというと、月28回〜29回となっています。
―介護保険と進化するケア―
中村:
このように提供されるサービス量が大幅に増大し、利用者利用者数も拡大しました。ホームヘルパー利用者数は10万人でありましたが、現在は100万人以上の方がホームヘルパーを利用しています。1人当たりの利用量も、先ほど申し上げましたように「年に48回」から「月に28〜29回」と格段に増加しました。
1990年の頃、我々が改革に着手した頃は何もなかった。在宅介護支援センターを何とか作りましたが、ケアマネージャー、ケアプランはありませんでした。ということでケアマネジャーとしての小島さんは存在しなかったですね。ケアプランもない。先ほど来、要介護度いくつという言葉が出てきていますが、要介護認定もありませんでしたし、「寝たきり老人」の定義もなかったのです。
それが要介護認定ができ、「痴呆」と呼んでいたのが「認知症」という言葉にも変わり、グループホームもでき、ユニットケアが導入されました。様々な居住系サービスができました。つまり、皆さんタイムスリップして90年の世界に、あるいはもっと遡って妻屋さんがサービスを受けられたときの世界に戻ると、(個々のケースはいろいろ差があるかもしれませんが、)非常に乏しい社会資源、福祉資源のもとでケアされてきたことがお分かりになると重います。
―障害者施策の現状とこれから―
中村:
障害者施策について、お話します。障害者施策については、まだまだ基盤が足りません。介護保険における地域差(都道府県間の地域差)は、1.7倍となっています。ところが、障害者施策については、都道府県間の地域差が7〜8倍あります。市町村間の地域差は測れないほど大きいものがあります。サービスのない市町村もあるからです。「サービスがゼロ」と「サービスのあるところ」の差は何倍と言えないからです。
つまり障害者行政は、(こんなこと胸を張って言えることではありませんが)行政として確立していないと思います。サービスがまだ全国的に均霑していません。当事者、障害者団体それから一部の行政当事者の努力により、極めて進んでいる地域もあるかと思いますが、全国的に障害者施策が進展しているかと考えますと、あるいは全国の国民の皆さんが障害の状態になったときにサービスを受ける状態にあるかというと、高齢者行政に比べまだまだ立ち後れているというのが私たちの認識です。1990年に高齢者介護においてそうだったように、障害者施策においても市町村が中心となって施策を本格的に進めていく体制の確立が、今回改正の大きな柱です。また、障害者施策は、今回改正により、精神障害者も対象とし、3障害の一元化を図ることといたしましたが、発達障害など、まだまだ対象となっていない様々な問題を、地域福祉という観点から取り組んでいかなければならないと思っております。
―福祉現場で働く人が一生懸命働きつづけられることが質のよいサービスへ―
中村:
昨年、国会で、障害者自立支援法、介護保険法の見直しを審議して頂きましたが、その中で、いろいろご意見を賜りましたし、附帯決議もつきました。私は現在、介護に従事する人材の確保を担当しています。その立場から、また、介護の質、福祉サービスの質を高めるという観点からも、ここにご紹介している国会での附帯決議を重く受け止めております。現在、施設の介護に従事者している者の4割は介護福祉士になっておりますし、ヘルパーの10人に1人は介護福祉士です。昨年の社会保障審議会介護保険部会の報告書においても、介護は「将来的には介護福祉士を基本とする」とされています。このような観点から、介護福祉士制度の見直しをしたいと思っております。
課題としては、介護労働者の労働条件を高め、介護福祉士を基本とする体制を確立する。それから、質のよいサービスをして頂くためには、働いている人が「一生働き続けられる場」である福祉の現場でなければならない。そう考えていますので、そのような見直しをしていきたいと思っています。 会場: (拍手)
北野:
どうもありがとうございました。
―中村さん答える!事件が起こる現場に向けて―
中村:
福祉用具のお話がありましたけれども、介護保険制度が始まる前、福祉用具支給事業は規模として年に100億円もサービはなかった。それが、現在では福祉用具について、そのレンタル料としては月に180億円を介護保険制度で支払っています。年間2000億円程度の規模になっています。介護保険制度における訪問看護の給付費が月に100億円でありますので、福祉用具の事業は、介護保険制度導入後急速に伸び、主要な介護保険制度の給付となっていることが分かります。
このように、急速に伸びたサービスですので、その中で濫用もあるのではないかという議論があります。このため、2003年頃に「福祉用具の適正使用」のマニュアルを作成し、周知いたしました。福祉用具の給付費に関するデータをフォローしていただければ分かるのですが、それから福祉用具の給付費の伸びは、明らかに変化して、「屈折点」が観察されますが、伸びが鈍化したということがあります。
いずれにしても、妻屋さんのお話も含めまして、その方の自立支援のために、アセスメントし(その際、当事者の方と専門家の方たちが話し合って、合意を得て)、どういうケアプラン(という言い方がいいのかどうか分かりませんが)、サービス提供計画を立て、それにふさわしい福祉用具を提供していくことが基本であると考えます。こうした過程のそれぞれの技術が高まれば、また、そういうことが徹底すれば、今ご指摘があったようなご意見=現場の意見を基本として考えること、は正しい方向だと思います。
―求められる介護福祉士像―
北野:
どうもありがとうございます。私の方から1つだけ。介護福祉士の見直しの検討の資料が入っておりますけれども、私が教員になった2年後に、社会福祉士と介護福祉士の法律ができまして、新しい制度を作ったんです。そのときに私たちも議論がまずかったなぁって思っているのは、介護福祉士という仕組みは、他の国々特にアメリカなんかが非常に大きな問題を持っているので、フィジカル、身体のケアをきっちりやる専門職としての介護福祉士というイメージの仕組みを作ってしまったんですね。介護福祉士という名前ですけれども、「身体介護福祉士」というイメージなんですよ、どうしても。つまり、知的障害の方や認知症の方、精神障害の方、例えば、見守りを含めた、知的障害の方の自己決定、自己判断の支援を視野に含めたような専門職としての養成の仕組みを作らなかったのですよね。
中村:
私の資料の20ページに「求められる介護福祉士の像」として12ヶ条が掲げられております。その中で、心理的、社会的ケア(サイコ・ソーシャルケア)の重視、と言っています。(12か条の5番目。)この12ヶ条について、むしろ皆さんからご教示頂きたいと思っています。
北野:
時間が押しておりますけれども、最後に一言ずつ、もしパネラーの方で何かあれば。他の方のパネラーの意見もふまえてお願い致します。
―負担と給付のバランス―
惣万:
すいません、もう終わったかなと思って、何にも考えていないんですけれども。じゃあ、一言だけ。今、若年性の痴呆老人の方で、加算とか付いているんですね。私たちも若年性の人たち3人いるんですけれども、旦那さんは働かなければならない、そして妻が痴呆症なんですけれども。在宅にいるのに8万から10万の費用を払わないといけない。これは大変かなぁと。家族も大変だと言っています。
60年代に日本の人たちにアンケートをとったときに、「あなたたちは、低福祉・低負担を望むのか、これからの福祉は、中福祉・中負担を望むのか、高福祉・高負担を望むのか」って聞いたときに、日本の国民は、高福祉・低負担を望むと言ったそうなんです。
北野:
ありがとうございます。ちょっと費用負担の問題を話す時間がなかったのでね。お金の問題はおっしゃるとおりで、高齢者の方は一般的に豊かになっているという判断をされている向きがあるのですが、高齢者の方の所得はすごく幅広くなっていて、非常に所得の低い方も、資産を持っていない方もいらっしゃるんですね。その方にとっては今の仕組みは、抑制になっている部分もあるよね。おっしゃったように。
惣万:
月に300人以下のデイサービスの介護報酬がぐっと上がったんですよ。私たちサービス事業者は嬉しいですよ。だけど払う人にとっては大変な話ですよ。それと若年性加算が入るものだから、かなりの負担になっていますよ。
北野:
自立支援法でも、費用負担の問題は大問題で…。
―自立への案内役として―
妻屋:
先ほど言いましたけど、公助・自助とありましたけど、共助に当たるものですけれど、私たちの団体では、今障害を負った人を対象に、支援していくピアサポート活動を全国的に展開して、サポーターを養成することをやっております。そういった中で、私たちは今、重い障害を負った人に対して、今の制度はこういうことで安心してあなたは自立できますよ、と案内をしなければならない立場になっているわけですね。
北野:
ピアサポーターの養成は素晴らしいですね。こんどの自立支援法にもあるように、自立支援では就労支援がもちろん大事ですよね。もう一つ、自立支援法は地域生活とか地域移行支援を強調していましたよね。地域で、重い障害を持っている方が暮らせる、そこのレベルまでいってほしいですね。ありがとうございます。小島さん、お願いします。
―現場のネットワーク―
小島:
飯田橋にいました最初の87年くらいに、スウェーデンに行ったときに、テクニカル・エイド・センターがありまして、同じ仕事をしている人たちがいる、私たちの仕事って仕事として成り立つんだと思ったことがありました。それ以後、現場に出たときに、私は自分の事業所でも、私たち現場で解決していく力をつけようと仲間と話してきたわけです。現場のネットワークで。
北野:
中村局長は、スウェーデンに3年も行っておられたので、補助器具センターとかもよくご存知ですよね。今日はそれを日本に始めて取りいれた秋田県鷹巣のメンバーも来ていらっしゃいます。局長はちゃんと分かっていらっしゃる方ですから、当然、それはして頂けると思っています。
中村:
今日は「えにしを結ぶ会」ですので、これを機会に、皆様と連携して、高齢者介護、障害者福祉を更に前進させないといけないと思っております。障害者自立支援法は、3年後には見直しをする義務も負っています。よりよいものにしていきたいと思っています。
どうぞよろしくお願いします。
会場:
(拍手)
北野:
時間がちょっと超えてしまいましたけれども、私も楽しい仕事をさせて頂きました。どうも今日はありがとうございました。
会場:
(拍手)
―空を「えにし」が飛び交ったシンポジウム―
山田:
ありがとうございました。福祉の現場を巡って、現場と政策のえにしが、火花が散るような感じでした。それから、国民会議の皆様とのネットワーク。空をえにしが飛び交うという、素晴らしい濃縮した経験をさせて頂きました。本当にありがとうございました。北野先生と皆さんに大きな拍手をお願い致します。
会場:
(拍手) |