年に1回開かれる<福祉と医療・現場と政策をつなぐ「えにし」の集い>の特徴の1つは、ふつうなら一生出会う機会のない人々を壇上でつなげてしまうことです。
2011年4月23日の夜の部のトークは「さまざまな運命、さまざまな挑戦」もそうでした。
登壇したのは、冤罪が晴れた村木厚子さん夫妻、冤罪の渦中にある元鷹巣町長の岩川徹さん夫妻、北海道・べてるの家の伊藤知之さんと早坂潔さん、参院議員の川田龍平さん夫妻。コーディネーターは、検察の「ストーリー」に操られなかった唯一の司法キャップ、毎日新聞の玉木達也さん。
いずれも初対面でした。
トークは、「浦河・彼女がいない会」代表を最近まで務めてきた伊藤さんと元祖「彼女がいない会」代表、早坂さんのコンビで始まりました。精神バラバラ病を自称するキヨシどん、早坂潔さんのことは、「優しき挑戦者の部屋」の「べてるの家のゲンチョーさん」ですでにご紹介しました。
北海道の襟裳岬に近いさびれた町・浦河の、牧師もいないオンボロの教会から始まった「べてるの家」は、いまや年間3500人の研究者、見学者が訪れる、この分野の「メッカ」となりました。国際的にも注目されている「当事者研究」のリーダーでもあります。
日高昆布やグッズの販売、出版事業に取り組む「社会福祉法人・べてるの家」、町の便利屋「有限会社・福祉ショップべてる」、当事者研究をサポートする「NPO法人セルポ浦河」、「協同オフィスいいっしょ」、10数カ所の共同住居とグループホーム、と活躍の場は広がり、その結果、精神科ベッドは130から60に減りました。
「あたりまえの苦労を取り戻す」という伝統から恋が芽生え、結婚や子育ての「苦労」に挑戦するメンバーも増えました。それを「研究」する中から「べてるの家の恋愛大研究」という本が誕生しました。
帯には「恋すれば、みんな変!」
伊藤さんは1年半前、ある女性と相思相愛となり、彼女いない会代表の座を降りました。そのお相手は「魔性の女」の異名をもつ、この分野の先駆者、山崎薫さんでした。
薫さんは91年に浦河日赤の精神科に入院しました。ただし、そのときは、妊娠中。親戚は「出産絶対反対」の大合唱でした。
「この病気に出産育児ストレスは再発のもと。中絶!」という考え方は専門家の間でも支配的でした。ところが、浦河の精神科ソーシャルワーカー向谷地生良さん、精神科医川村敏明さん、そして、べてるの仲間たちは「みんなの子どもとして育てよう」。
これが浦河の「子育て文化」になっていきました。いまでは、親子で運動会が開けるほどです。
夜の部は大型紙芝居をめくりながら進みました。イラスト@は電撃交際を始めたとき。イラストAはその後の「事件」です。以下、トークを再現してみます。
「お付き合いして1年半、ラブラブだったのですが、ある夜、僕の部屋に電話がかかってきました。
山崎薫さんはかなりの妄想状態で、「伊藤さんには奥さんと子どもがいるんでしょ」と言います。
どういう根拠があるのか分からないのですが、「ねえ、いるでしょ。隠しているんでしょ」と繰り返し言うのです。僕は奥さんと子どもどころか彼女いない歴40年でした。「そんなことない」と言おうとした途端、また電話がかかってきました。
「ねえ、いるんでしょ」と言われて、僕は頭が真っ白になってしまいまして、「ごめんなさい。ごめんなさい。実はいるんだ!」と、完全に動揺して、山崎さんの妄想に降伏してしまいました。(会場大笑い)
その後も「子どもはどうしているんですか?」といわれると、「向こうで育っています」と口裏を合わせるような感じになってしまいました。
検事さんの妄想に降伏して、村木さんや岩川さんの冤罪の原因をつくった厚生労働省の官僚のみなさんや運転手さんも、このような心境だったのではないでしょうか」(会場さらに大笑い)
川田龍平さんの恋にまつわる部分を抜き出してみます。
「薬害によりHIV感染者となり死を覚悟しましたが、薬が飲めるようになり、とくに結婚してからは、健康な人で千以上と言われるCD4の数値を8百くらいで維持しています。結婚して毎日楽しいということが、すごく免疫に与える影響が大きいんだなと感じています」(会場大拍手)
当事者研究の面白いところは、苦労を抱えている当事者を「その分野の専門家」と考えることです。その研究の中から数々の智恵や法則が生まれました。
・苦労のタイプ別 恋愛の傾向と対策
・モテ方の研究
・振り回す彼女・振り回される彼氏の研究
・片想い研究から、おつきあいの研究へ
・安心・安全なケンカの仕方の研究
見逃せないノウハウ満載なのですが、スペースの関係で省かせていただきます。
ご関心のある方は、大月書店にご注文を。
(大阪ボランティア協会の機関誌『Volo(ウォロ)』2011年5月号)