物語・介護保険
(呆け老人をかかえる家族の会の機関誌『ぽ〜れぼ〜れ』、社会保険研究所刊「介護保険情報」の連載より)

第53話 タンゴさんが介護保険を支持した10の理由、そして2人の女性 (月刊・介護保険情報2008年10月号)

■主計官として、主計局長を説得■

 「大蔵省にタンゴさんがいなかったら、介護保険制度は成立していなかった」−−この物語の登場人物の口から、たびたび、出てきたフレーズです。
 大蔵省は財政のすべてを取り仕切りたいという本能をもっているから、介護保険が実現するはずがない、というのが、玄人筋の「常識」だったからです。

 以下は、厚生省側でかかわった人々の述懐です。
 「主計局長も消極的だったようです。それを主計官として説得して進めるのには大変苦労されたと思います」(山崎史郎さん
 「終始一貫、大蔵省の中で介護保険を支持し、推進してくれました。立場ではなく信念であったろうと思います。私心を捨て、10年20年50年の視野で物事を考え、信じるところに従い全力を尽くし、身体を張ってねばり強く物事をやり遂げる。そういうことの出来る人間が集まって、初めてことは為される。こういう間柄を同志というのではないでしょうか」(香取照幸さん
 「財政サイド、官邸サイドから日本の社会保障に大きく貢献されました。話をよく聞き、柔軟で合理的判断をする、安定感のある信頼できる方で、しかも、謙虚かつ合理的でぶれない。財務官僚としての優れた資質をお持ちです」(辻哲夫さん

■「厚生省の熱意に圧倒されました」■

 その丹呉泰健さん、この7月から財務省の主計局長です。
 霞ケ関の中でも、もっとも古ぼけた、床がギシギシする局長室を訪ねたら、テーブルの上に1枚の紙が用意されていました。
 まさに、「謙虚で合理的」。
 「介護保険導入を積極的に支持した理由」というタイトルの下に、10の理由が並んでいました。
 トップに、「厚生省の熱意」。
 丹呉さんと厚生省の縁は、84年、主計局の年金担当主査になったとき。辻さんとの縁は、そのころに始まります。
 その後、外務省に出向、カナダ大使館勤務などをへて、主計局に戻り、厚生・労働担当の主計官になったのは94年7月。前回の「物語」の写真、「高齢者介護対策本部発足」から2カ月たったときでした。

 「着任して厚生省の熱意に、まず圧倒されました。それだけでなく、実に綿密に研究し尽くしておられた」
 それも、そのはずです。第17話「マル秘報告書と"黒子"たち」に私は、こんな風に書きました。
 <89年の介護対策検討会報告が「介護の社会化の受精段階」とすれば、省内検討チームによる93年のマル秘報告は「妊娠3カ月」。出産後の赤ちゃんの目鼻だちから指先まで、しっかりできていました。粗削りながら介護保険制度の基本概念のほとんどが書き込まれ……>
 主計官として再び目の前に現れた丹呉さんに厚生省の人たちが示したのは、練りに練った介護保険制度の設計図だったのです。

■「地方に出るたびに現場へ」、そして、救貧主義からの転換■

 丹呉さんの信条は、現場主義。
 「地方に出る機会があるごとに、介護に関係深い人々のもとを訪ねました。30カ所くらいになるでしょうか。函館のフランス人の神父さんの特養ホーム広島の御調町の老人保健施設秋田の鷹巣町の在宅ケア……」
「泊り込んだこともありました。当時の行政処分方式では、コストが高い上に、地元議員の口利きがあったりする不公正が横行していることも実感しました」。
 丹呉さんは「介護保険を積極的に支持した理由」の2番目に「救貧主義から普遍主義へ」を挙げました。
 それは、現場を踏んでの確信でした。

 第3の理由は「不十分な在宅介護は、家庭、地域を崩壊させる」
 それを実感させてくれた人物として、丹呉さんの口から飛び出したのは、2人の女性の名前でした。
「財務省づめだった読売新聞政治部の榊原智子さんとNHKの小宮英美さん。ずいぶん教えられました」
 読売新聞の部長を歴任、いまはわが同僚の丸木一成・国際医療福祉大学教授に尋ねたら、「榊原さんは厚生省クラブに属していたはずなんだけどなあ。取材が丁寧で、よくトクダネ書いてたっけ」
 榊原さん、厚生省づめにもかかわらず、「大蔵省担当記者」と丹呉さんに錯覚させるほど、大蔵省にも食い込んでいたようなのです。

 早速、榊原さんを突撃したところ、「お教えしたなんて、とんでもない。すでに結婚していて、ヨメの立場でしたし、親の介護が身近な問題だったこと。大蔵省を訪ねる女性記者は当時ほとんどいなかったこと。それで覚えていてくださっただけなのでは?」

■立ちすくんでいた与党が動き出すきっかけに■

榊原さん

 ところが、この榊原さん、実は、介護保険に取り組む与党の姿勢を変えるきっかけとなる歴史に残る仕事をしていたのでした。それは、95年8月26日の読売新聞1面を飾った、世論調査です。
・国民の10人に7人が公的介護保険の導入に賛成している。
・10人に8人以上は、そのための負担をしてもかまわないと考えている。
「ヨメの介護が日本の美風」と思い込んでいる人が主流を占める当時の保守派議員の常識を覆すものだったのです。
 負担してもよいと考える保険料は、月額3000円程度がもっとも多くて3割、5000円も2割、1万円前後という答えも1割ありました。

 当時、介護地獄の実態が報道され、介護保険の必要性についての世論は高まっていました。
 けれど、「負担増をもちだしたら選挙に負けるのではないか」、それも心配で、与党は立ちすくんでいたのでしだ。
 この世論調査結果が、そこに、風穴をあけるきっかけになりました。

 といっても、すんなり実現したわけではありません。
 世論調査には費用がかかります。1人の若い女性記者の提案で世論調査が行われるほど新聞社の組織は甘くはありません。
 幸い上司の政治部長が応援してくれ、「設問づくりからまとめまで、全部、一人でするのだぞ」という条件づきで、実現したのでした。
 榊原さんによる分析は、いまになっても興味深いので抜粋してみます。

◆〈国への要望〉「在宅サービス充実」が目立つ
 高齢者介護を十分に行うために、国や自治体がどんなことを充実させるべきだと思うかを聞いた結果、「ホームヘルパーなどの訪問介護サービス」49%、「医師や看護婦の訪問看護サービス」46%をあげた人が多く、在宅サービス充実への期待が強いことがうかがえる。次いで「長期的に受け入れてくれる特別養護施設」41%、「介護費用の補助や福祉機器の貸し出し・給付」35%などだった。
◆〈公的保険〉 各世代に負担意識浸透
 「賛成」は、20歳代でも63%で、世代間による大きな差はない。「賛成」の理由は、@高齢化問題は社会全体で取り組むべきだから(53%)A本人や家族だけでは支えきれない(35%)B国の税金でまかなうには限界がある(8%)C介護サービスの向上につながる(4%)の順。「家族だけでは支えきれない」は、現実に介護を担うことの多い女性で38%と目立ち、男性では「税金では限界がある」10%が比較的多かった。
 「いまのままでよい」、「家族の責任」という現状追認派は高年齢層に多く、これに対し、「福祉目的税を導入すべきだ」と"保険方式より税方式"を主張する人や、「十分なサービスは期待できない」とする保険化に懐疑的な人は20―40歳代の若年世代に目立っている。
◆〈国の新制度〉「関心ある」が8割
 関心度は、20歳代では66%とやや低かったものの、30―60歳代では8割を超えた。都市規模が大きいほど関心度は高く、核家族化が進み近所付き合いなどの人間関係も希薄な大都市ほど、新制度への関心が強いようだ。

調査結果(pdf)

■的中した予言■

 13年前のこの調査に、評論家の樋口恵子さんはこんなコメントを寄せています。
 「介護保険への期待が強いということは、期待するサービスが届かなかった時、政治不信と社会不安はさらに大きくなりかねない」
 「国は内政課題の最優先として人材養成を中心とした福祉サービスの充実に取り組む必要がある」
 不幸にも、予言は的中してしまったようです。

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